ゾロアスター Zoroaster
- 生没
- 紀元前18世紀?~紀元前7世紀?
概要
ゾロアスターは、古代アーリア人の神官、ゾロアスター教の開祖。
肖像
外部リンク
ヘシオドス Ἡσίοδος
- 生没
- 紀元前750年頃~650年頃
概要
ヘシオドスは、紀元前8世紀~紀元前7世紀の男性。
著作
別表記
Hesiod
外部リンク
参考文献
『世界大百科事典』
ホメロス Όμηρος
概要

ホメロスは、紀元前8世紀末の男性。
著作
イリアス
オデュッセイア
キュプリア
アイティオピス
小イーリアス
イーリオスの陥落
帰国物語
テーレゴニアー
別表記
ホメーロス、ホーマー、Homeros、Homer
外部リンク
ネブカドネザル2世
- 生没
- 紀元前634年~紀元前562年
- 父
- ナボポラッサル
- 妻
- アミュティス
- 子
- アメル・マルドゥク
ネルガル・シャレゼルの妻
概要
ネブカドネザル2世は、新バビロニア王国の男性、王。聖書中の「ダニエル書」ほか各種の書に登場する。荒廃したバビロンの復興工事やエルサレムのバビロン捕囚などを行った。
在位
新バビロニア王 紀元前605年~紀元前562年
外部リンク
タレス Θαλής

- 生没
- 紀元前624年~紀元前546年頃
概要
タレスは、古代ギリシアの哲学者。
別表記
ターレス
外部リンク
アナクシマンドロス Αναξιμανδρος
- 生没
- 紀元前610年頃~紀元前546年
概要
アナクシマンドロスは、古代ギリシアの男性、哲学者。タレスの弟子で、タレス、アナクシメネスと共にミレトス学派の代表。
肖像
別表記
Anaximandros
外部リンク
キュロス2世 کوروش

- 生没
- 紀元前600年頃~紀元前529年
概要
キュロス2世は、紀元前7世紀~紀元前6世紀の男性。
在位
ペルシア帝国初代帝王 紀元前559年~紀元前529年
別表記
Kyros
外部リンク
ルクレティア Lucretia

- 生没
- 紀元前6??年~紀元前509年
- 父
- スプリウス・ルクレティウス・トリキピティヌス
- 夫
- ルキウス・タルクィニウス・コッラティヌス
概要
ルクレティアは、紀元前7世紀~紀元前6世紀の女性。
関連項目
オウィディウス著『祭暦』
ティトゥス・リウィウス著『ローマ建国史』
ウィリアム・シェイクスピア著『ルークリースの凌辱』
外部リンク
参考文献
アナクシメネス Άναξιμένης
- 生没
- 紀元前585年~紀元前525年
概要
アナクシメネスは、紀元前6世紀の古代ギリシアの男性、自然哲学者。アナクシマンドロスの弟子で、アナクシマンドロス、タレスと共にイオニア学派の代表。ミレトス三哲人のひとりとされる。
別表記
Anaximenes of Miletus
外部リンク
ピュタゴラス Πυθαγόρας
- 生没
- 紀元前582年~紀元前496年
概要
ピュタゴラスは、古代ギリシアの数学者、哲学者。
肖像
別表記
ピュータゴラース、ピタゴラス、Pythagoras
外部リンク
ダレイオス1世 Dārayavau
- 生没
- 紀元前550年頃~紀元前486年
- 父
- ヒュスタスペス
- 母
- ロドグネ
- 妻
- アトッサ
アルテュストネ
パルミュス
フラタゴネ
パイディメ
ゴブリュアスの娘 - 子
- アルトバザネス
クセルクセス1世
アリアビゲネス
アルサメネス
マシステス
アケメネス
アルサメス
ゴブリュアス
アリオマルドス
アブリオコマス
ヒュペランテス
アルタゾストレ
概要
ダレイオス1世は、ペルシア帝国の男性、王。
在位
アケメネス朝の王 紀元前522年~紀元前486年
古代エジプト王 紀元前521年~紀元前486年
外部リンク
ヘラクレイトス Ἡράκλειτος
- 生没
- 紀元前540年頃~紀元前480年頃?
- 出身
- エペソス
概要
ヘラクレイトスは、古代ギリシアの自然哲学者。
肖像
別表記
Hērakleitos、Heraclitus
外部リンク
アイスキュロス Αισχύλος

- 生没
- 紀元前525年~紀元前456年
- 出身
- アテナイ、エレウシス
- 没地
- ゲラ
- 父
- エウポリオン
概要
アイスキュロスは、紀元前6世紀の男性、古代ギリシアの三大悲劇詩人の1人。エレウシスの神官の家系に属し、神話や歴史にまつわるギリシア悲劇を確立。マラトンの戦いとサラミスの戦いに参加した。悲劇コンクールで13回優勝。シチリア島のゲラにて客死。
著作
『ペルシア人』
『テーバイ攻めの七将』
『救いを求める女たち』
『オレステイア』
『縛られたプロメテウス』
別表記
Aischylos、Aeschylus
外部リンク
ピンダロス Πίνδαρος
- 生没
- 紀元前522年~紀元前438年
概要
ピンダロスは、紀元前6世紀から紀元前5世紀の古代ギリシアの詩人。
著作
『競技会の祝勝歌』
年表
紀元前522年
生(紀元前518年)。
紀元前442年
死(紀元前438年)。
別表記
Pindaros、Pindarus、Pindar
外部リンク
アルキビアデス Αλκιβιάδης
- 生没
- 紀元前450年頃~紀元前404年
概要
アルキビアデスは、アテナイの政治家、軍人。
肖像
外部リンク
アリストパネス Ἀριστοφάνης
- 生没
- 紀元前446年頃~紀元前385年頃
概要
アリストパネスは、紀元前5世紀から紀元前4世紀の古代アテナイの男性、喜劇詩人、風刺詩人。
著作
紀元前425年『アカルナイの人々』
紀元前424年『騎士』
紀元前423年『雲』
紀元前422年『蜂』
紀元前421年『平和』
紀元前414年『鳥』
紀元前411年『女の平和』
紀元前410年『女だけの祭』
紀元前405年『蛙』
紀元前392年『女の議会』
紀元前388年『福の神』
別表記
アリストファネス
外部リンク
ピリッポス2世 Φίλιππος Β'
- 生没
- 紀元前382年~紀元前336年10月
- 出身
- マケドニア王国ペラ
- 没地
- マケドニア王国エーゲ(現ギリシャ共和国ヴェルギナ)
- 父
- アミュンタス3世
- 母
- エウリュディケ
- 妻
- フィラ
アウダタ
ピリンナ
オリュンピアス
ニケシポリス
メーダ
クレオパトラ・エウリュディケ - 子
- キュナネ
ピリッポス3世
アレクサンドロス3世
クレオパトラ
テッサロニカ
エウローペー
カラノス
概要
ピリッポス2世は、マケドニア王国の男性。
在位
マケドニア王 紀元前359年~紀元前336年
別表記
フィリッポス2世、Philippos II
外部リンク
ダレイオス3世 داریوش
- 生没
- 紀元前380年?~紀元前330年
- 出身
- ペルシア
- 没地
- バクトリア
- 父
- アルサメス
- 母
- シシュガンビス
- 妻
- スタテイラ1世
- 子
- スタテイラ2世
ドリュペティス
概要
ダレイオス1世は、ペルシア帝国の男性、王。
在位
アケメネス朝の帝王 紀元前336年~紀元前330年
第211代古代エジプト王 紀元前336年~紀元前332年
外部リンク
アレクサンドロス3世 Ἀλέξανδρος Γ'

概要
アレクサンドロス3世は、マケドニア王国の男性。在位中ほとんど休みなく大遠征を展開し、ギリシア、エジプト、アジアにわたる大帝国を建設し、ヘレニズム時代を開いた。
ギリシアの哲学者アリストテレスを家庭教師として、ギリシア文化の教養を積む。父王の跡を継ぎ、ギリシア諸都市に自らをコリントス同盟の盟主として承認させ、紀元前334年ペルシア遠征に出発した。小アジアのグラニコス河畔のペルシア軍を破り、次いでフェニキア、パレスチナ、エジプトを征服。紀元前330年、ついにペルセポリスを占領してペルシアを滅ぼした。更に紀元前327~325年にはインドのパンジャブ地方に進攻したが、兵士がこれ以上東進することを拒んだため、バビロンに帰り、ここで熱病に倒れた。アジア、ヨーロッパにまたがる大帝国は死後崩れたが、彼が建設し彼の名を冠した多くの都市は、ヘレニズム文化の拠点となった。
在位
マケドニア王 紀元前336年~紀元前323年
ペルシア王 紀元前330年~紀元前323年
『アレクサンドロス大王物語』 Romantica Alexandri
著者不明の、アレクサンドロス3世を主人公とした英雄伝説集。誕生から始まり、マケドニア王位の継承、ペルシャ帝国を含む征服、そして最終的な死に至るまでの経歴を描いている。史実に基づいて構成されてはいるが、その大部分は幻想的であり、セイレーンやケンタウロスなどの神話的な生物との遭遇を含む超自然的な物語が展開される。
ゴルディアスの結び目
アレクサンドロス3世が紀元前333年に占領したペルシア領であるリュディアの州都ゴルディオンには、ゴルディアスの結び目と呼ばれる複雑に絡み合った縄で結わえられたが戦車祀られていた。「この結び目を解いたものがアジアの支配者になる」と耳にしたアレクサンドロス3世は剣で切断することによって縄を解き、後にその予言は成就した。
肖像
別表記
アレキサンダー3世、アレクサンドロス3世、アレクサンドゥロス3世、Aleksandros III Megas、Alexandros III
外部リンク
ウィキペディア
Youtube - ゲームさんぽ /ライブドアニュース
参考文献
『新世紀ビジュアル大辞典』
『マキァヴェッリ 忘恩、運命、野心、好機』
小スキピオ Publius Cornelius Scipio Africanus Aemilianus

- 生没
- 紀元前185年~紀元前129年
- 父
- ルキウス・アエミリウス・パウッルス・マケドニクス
- 妻
- センプロニア
概要
共和政ローマ中期の政務官。パトリキの名門アエミリウス氏族の生まれだが、コルネリウス氏族スキピオ家に養子入りし、2度にわたって特例で執政官に選出され、養祖父大スキピオが降伏させたカルタゴを破壊し、泥沼のヌマンティア戦争を終結させた。
カルタゴ滅亡
紀元前146年第三次ポエニ戦争でカルタゴを陥落させた。そのカルタゴが燃え上がり滅亡していく様子を見て、次のように言ったと伝えられている。「アッシリアはすでに滅び、ペルシア、マケドニアも滅びた、そして今やカルタゴも炎上しつつある。次に来るものはローマであろうか」
外部リンク
グナエウス・ポンペイウス Gnaeus Pompeius
- 生没
- 紀元前106年9月29日~紀元前48年9月29日
- 父
- グナエウス・ポンペイウス・ストラボ
- 妻
- アンティスティア
アエミリア
ムキア
ユリア・カエサリス
コルネリア - 子
- グナエウス・ポンペイウス・ミノル
ポンペイア
セクストゥス・ポンペイウス
概要
グナエウス・ポンペイウスは、ローマ共和政末期の政治家、卓越した武将。スパルタクスの反乱をマルクス・リキニウス・クラッススと共に平定し、共に執政官に就いた。後、ユリウス・カエサルを加えた第一次三頭政治を開き、ユリウス・カエサルの娘ユリア・カエサリスと結婚したが、ユリア・カエサリスとマルクス・リキニウス・クラッススの死後ユリウス・カエサルと対立を深めた。ユリウス・カエサルと対立する閥族派と結んで単独の執政官になり、元老院側の軍を指揮してユリウス・カエサルと戦うが敗れ、エジプトに逃れ保護を求めた。しかしその王に殺された。
外部リンク
参考文献
『マキァヴェッリ 忘恩、運命、野心、好機』
ユリウス・カエサル Gaius Julius Caesar

- 生没
- 紀元前100年頃7月13日~紀元前44年3月15日
概要
ガイウス・ユリウス・カエサルは、紀元前2世紀~紀元前1世紀の男性、共和政ローマ期の政治家、軍人、文筆家。
在位
財務官 紀元前69年
按察官 紀元前65年
最高神祇官 紀元前63年
法務官 紀元前62年
執政官 紀元前59年
独裁官 紀元前46年
終身独裁官 紀元前45年
著作
『ガリア戦記』
年表
紀元前54年
フォルム・ロマヌムとスブラの間の土地を、6百万セステルティウスで買収、総額1億セステルティウスを投じてフォルム・ユリウムを建造。
紀元前51年
フォルム・ユリウム着工(前54年、前52年)。
紀元前49年1月10日
ルビコン川を越えてイタリア本土へ侵攻。
紀元前48年8月9日
ファルサルスの戦いでポンペイウスに勝利。
紀元前46年8月
独裁官カエサルはガリア、エジプト、ポントス、北アフリカの4つの戦勝を祝う凱旋式典を4回、40日間にわたって執り行う。
紀元前46年9月26日
凱旋式最終日、フォルム・ユリウムに完成していたウェヌス・ゲネトリクス神殿の奉献式を執り行う。
肖像
外部リンク
アウグストゥス Augustus

- 生没
- 紀元前63年9月23日~紀元14年8月19日
概要
アウグストゥスは、紀元前1世紀~1世紀の男性。
在位
初代ローマ帝国皇帝 紀元前27年~紀元14年
次代:ティベリウス
別表記
オクタヴィアヌス
外部リンク
ブルートゥス Marcus Junius Brutus

- 生没
- 紀元前85年~紀元前42年
概要
マルクス・ユニウス・ブルートゥスは、紀元前1世紀の男性。
肖像
外部リンク
参考文献
『フィレンツェ史』
『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
『ルネサンス宮廷大全』
『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
ティベリウス Tiberius Julius Caesar

- 生没
- 紀元前42年11月16日~紀元後37年3月16日
概要
ティベリウスは、紀元前1世紀~1世紀の男性。
在位
第2代ローマ帝国皇帝 紀元14年~37年
先代:アウグストゥス
次代:カリギュラ
外部リンク
カリギュラ Caligula

- 生没
- 12年8月31日~41年1月24日
概要
カリギュラは、1世紀の男性。
在位
別表記
カリグラ、暴帝
外部リンク
ソポクレス Σοφοκλῆς
- 生没
- 紀元前496年頃~紀元前406年頃
- 出身
- アテナイ、アッティカ、ヒッペイオス・コロノス
- 父
- ソピロス
概要
ソポクレスは、紀元前5世紀の男性、古代ギリシアの三大悲劇詩人の1人。コロノスの富裕な武器屋の子。ヘロドトスの友。紀元前443年から442年デロス同盟財務官。紀元前413年プロブーロス。悲劇コンクールで24回優勝。強い意志を持った人間を描いた。
医神アスクレピオスを自宅で饗応したと信じられ、その死後、デクシオン(もてなす人)という名の半神として崇められた。
著作
『アイアス』
紀元前441年頃『アンティゴネ』
『トラキスの女たち』
紀元前429年~紀元前425年頃『オイディプス王』
『エレクトラ』
紀元前409年『ピロクテテス』
紀元前401年『コロノスのオイディプス』
別表記
ソポクレース、ソフォクレス、Sophoklés, Sophokles、Sophocles
外部リンク
エンペドクレス Ἐμπεδοκλῆς
- 生没
- 紀元前490年頃~紀元前430年頃
概要
エンペドクレスは、古代ギリシアの自然哲学者、医者、詩人、政治家。
肖像
別表記
Empedocles、Empedokles
外部リンク
ヘロドトス Ἡρόδοτος

- 生没
- 紀元前485年頃~紀元前420年頃
概要
ヘロドトスは、紀元前5世紀の古代ギリシアの男性、歴史家。
著作
『歴史』
別表記
Hēródotos、Herodotus
外部リンク
エウリピデス Ευριπίδης
- 生没
- 紀元前480年頃~紀元前406年頃
概要
エウリピデスは、紀元前5世紀の男性。
著作
メデイア
アンドロマケ
アウリスのイピゲネイア
別表記
Euripides
外部リンク
参考文献
『サイレント・マイノリティ』
『ルネサンスの華』
ソクラテス Σωκράτης
概要
ソクラテスは、アテナイの男性、古代ギリシアの哲学者。 彼自身は著作を行わなかったため、その思想は弟子のプラトンや歴史家のクセノポンの著作を通じて紹介されている。
肖像
別表記
Sokrates
外部リンク
トゥキュディデス Θουκυδίδης

- 生没
- 紀元前460年頃~紀元前395年
- 父
- オロロス
概要
トゥキュディデスは、紀元前5世紀~紀元前4世紀の古代アテナイの男性、歴史家。
別表記
トゥキディデス、ツキジデス、Thukydides
外部リンク
クセノポン Ξενοφῶν
- 生没
- 紀元前430年頃~紀元前355年以後
概要
クセノポンは、アテナイの男性、軍人、哲学者、著述家。
著作
『ソクラテスの思い出』
『ソクラテスの弁明』
『饗宴』
『家政論』
『ギリシア史』
『アナバシス』
『キュロスの教育』
『ヒエロン――または僭主的な人』
『アゲシラオス』
『ラケダイモン人の国制』
『歳入論』
『騎兵隊長について』
『馬術について』
『狩猟について』
肖像
別表記
Xenophon、クセノポーン、クセノフォン
外部リンク
プラトン Πλάτων

- 生没
- 紀元前427年~紀元前347年
概要
プラトンは、紀元前5世紀~紀元前4世紀の男性、古代ギリシアの哲学者。
著作
『ソクラテスの弁明』
『クリトン』
『プロタゴラス』
『ラケス』
『リュシス』
『ゴルギアス』
『メノン』
『メネクセノス』
『饗宴』
『国家』
『パイドロス』
『パイドン』
『パルメニデス』
『テアイテトス』
『ソピステス』
『政治家』
『ピレボス』
『ティマイオス』
『クリティアス』未完
『ヘルモクラテス』未筆
『法律』
肖像
別表記
Platon、Plato
外部リンク
参考文献
『イコノロジー研究』
『情報エネルギー化社会』
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『ルネサンス精神の深層』
『ルネッサンスの光と闇』
『Eros the Bittersweet』
アリストテレス Αριστοτέλης

- 生没
- 紀元前384年~紀元前322年3月7日
- 出身
- スタゲイロス
- 父
- ニコマコス
- 子
- ニコマコス
概要
アリストテレスは、紀元前4世紀の男性。
著作
『形而上学』
『ニコマコス倫理学』
『動物誌』
『詩学』
『アテナイ人の国制』
『霊魂論』Περὶ Ψυχῆς
『政治学』
『オルガノン』Όργανον
『範疇論』Κατηγορίαι
『命題論』Περὶ Ἑρμηνείας
『分析論前書』Αναλυτικων πρότερων
『分析論後書』Αναλυτικων υστερων
『トピカ』Τόποι
『詭弁論駁論』Σοφιστικοὶ Ἔλεγχοι
『自然学』Φυσικῆς ἀκροάσεως
『天体論』Περὶ οὐρανοῦ
『生成消滅論』Περὶ γενέσεως καὶ φθορᾶς
『気象論』Περὶ Μετεωρολογικῶν、Μετεωρολογικά
肖像
別表記
アリストートル、Aristoteles、Aristotle
外部リンク
参考文献
『イコノロジー研究』
『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『ルネサンス宮廷大全』
『ルネサンス精神の深層』
『Eros the Bittersweet』
エウクレイデス Ευκλείδης
- 生没
- 紀元前365年?~紀元前275年?
概要
エウクレイデスは、紀元前4世紀~紀元前3世紀の男性。
肖像
別表記
ユークリッド、Euclid、Eukleides、Euclides
外部リンク
参考文献
『イコノロジー研究』
『ルネサンス宮廷大全』
エピクロス Επίκουρος
- 生没
- 紀元前341年~紀元前270年
概要
エピクロスは、古代ギリシアのヘレニズム期の男性、哲学者、エピクロス派の始祖。
肖像
別表記
Epicurus
外部リンク
アポロニオス Ἀπολλώνιος Ῥόδιος
- 生没
- 紀元前3世紀初期~紀元前246年以降
概要
アポロニオスは、紀元前3世紀の男性、叙事詩人、学者、アレクサンドリア図書館の第2代館長。
著作
『アルゴナウティカ』
別表記
Apollonius Rhodius、ロドスのアポローニオス、アポロニオス・ロディオス
外部リンク
アルキメデス Ἀρχιμήδης
- 生没
- 紀元前287年~紀元前212年
- 出身
- シチリア
概要
アルキメデスは、古代ギリシアの数学者、物理学者、技術者、発明家、天文学者。古典古代における第一級の科学者という評価を得ている。
肖像
別表記
Archimedes
外部リンク
プラウトゥス Plautus
- 生没
- 紀元前254年~紀元前184年
概要
プラウトゥスは、紀元前3世紀~紀元前2世紀の男性。
著作
『アントルピオ』Amphitryo
『ロバ物語』Asinaria
『黄金の壺』Aulularia
『バッキス姉妹』Bacchides
『捕虜』Captivi
『カシナ』Casina
『小箱の話』Cistellaria
『クルクリオ』Curculio
『エピディクス』Epidicus
『メナエクムス兄弟』Menaechmi
『商人』Mercator
『ほら吹き兵士』Miles Gloriosus
『幽霊屋敷』Mostellaria
『ペルシア人』Persa
『カルタゴ人』Poenulus
『プセウドルス』Pseudolus
『綱引き』Rudens
『スティクス』Stichus
『三文銭』Trinummus
『トルクレントゥス』Truculentus
『旅行かばん』Vidularia
関連項目
The Borgias: 104
別表記
プラウトゥース、プラウトウス、プラウティス
外部リンク
ウィキペディア
オシテオサレテ
Project Gutenberg - Beatrice d'Este, Duchess of Milan, 1475-1497 by Julia Cartwright
参考文献
『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『ルネサンス宮廷大全』
『ルネサンスの華』
『Lucretia Borgia』
ルキウス・アエミリウス・パウッルス・マケドニクス Lucius Aemilius Paullus Macedonicus
- 生没
- 紀元前229年~紀元前160年
- 父
- ルキウス・アエミリウス・パウッルス
- 妻
- パピリア・マソニス
? - 子
- 小スキピオ
クィントゥス・ファビウス・マクシムス・アエミリアヌス
概要
ルキウス・アエミリウス・パウッルス・マケドニクスは、紀元前3世紀から紀元前2世紀の男性、共和政ローマの政務官。
年表
紀元前168年6月22日
第三次マケドニア戦争、ピュドナの戦い:アンティゴノス朝のペルセウスに対して戦い、ペルセウスを捕虜とする。これによりマケドニア戦争は終結、アンティゴノス朝は滅亡。
別表記
アエミリウス・パウルス
外部リンク
ポリュビオス Πολύβιος
- 生没
- 紀元前204年?~紀元前125年?
概要
ポリュビオスは、紀元前3世紀から紀元前2世紀の古代ギリシアのメガロポリス生まれの男性、歴史家。
著作
『歴史』
『ピロポイメン』
『戦術論』
『赤道地域の居住性について』
『ヌマンティア戦争』
外部リンク
テレンティウス Publius Terentius Afer
- 生没
- 紀元前195/紀元前185年~紀元前159年
概要
プビリウス・テレンティウス・アフェルは、紀元前2世紀の男性。
著作
『アンドロス島の女』Andria
『義母』Hecyra
『自虐者』Heauton Timorumenos
『宦官』Eununchus
『ポルミオー』Phormio
『兄弟』Adelphoe
関連項目
The Borgias: 104
英語
Terence
外部リンク
参考文献
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『ルネサンス宮廷大全』
『Lucretia Borgia』
マルクス・リキニウス・クラッスス Marcus Licinius Crassus
- 生没
- 紀元前115年頃~紀元前53年
概要
マルクス・リキニウス・クラッススは、紀元前2世紀~紀元前1世紀の共和政ローマの男性、政務官。第三次奴隷戦争でスパルタクスを討ち取り、グナエウス・ポンペイウス及びユリウス・カエサルと共に第一回三頭政治を行った。
外部リンク
スパルタクス Spartacus
- 生没
- 紀元前109年頃~紀元前71年
概要
スパルタクスは、紀元前2世紀~紀元前1世紀の共和政ローマの男性、剣闘士。スパルタクスの反乱と称される第三次奴隷戦争の指導者。
外部リンク
キケロ Marcus Tullius Cicero

- 生没
- 紀元前106年1月3日~紀元前43年12月7日
概要
マルクス・トゥッリウス・キケロは、紀元前2世紀から紀元前1世の男性、古代ローマの政治家、文筆家、哲学者。
著作
『弁論家論』
『神性について』
『構想論』
『ヘレンニウスへ』
『ブルートゥス』
外部リンク
参考文献
『ルネサンス宮廷大全』
『ルネサンスの華』
ルクレティウス Lucretius
- 生没
- 紀元前99年頃~紀元前55年
概要
ルクレティウスは、紀元前1世紀の男性、ローマ共和政末期の詩人、哲学者。
著作
正式名
ティトゥス・ルクレティウス・カルス、Titus Lucretius Carus
外部リンク
ディオドロス Διόδωρος Σικελιώτης
- 生没
- 紀元前60年以前~紀元前21年以降
概要
ディオドロスは、紀元前1世紀のシケリア出身の歴史家。
著作
『歴史叢書』
外部リンク
サッルスティウス Gaius Sallustius Crispus
- 生没
- 紀元前86年~紀元前34年?
概要
ガイウス・サッルスティウス・クリスプスは、紀元前1世紀の男性。
著作
『ユグルタ戦争』
別表記
サルスティウス、Sallust
外部リンク
参考文献
『ルネサンス宮廷大全』
カトゥルス Gaius Valerius Catullus
- 生没
- 紀元前84年頃~紀元前54年頃
概要
ガイウス・ウァレリウス・カトゥルスは、紀元前1世紀の男性。
別表記
カトゥッルス
外部リンク
ウィトルウィウス Vitruvius
- 生没
- 紀元前80年/70年~紀元前25年
概要
ウィトルウィウスは、紀元前1世紀の男性。
著作
『建築について』
正式名
マルクス・ウィトルウィウス・ポリオ(Marcus Vitruvius Pollio)
外部リンク
参考文献
『イコノロジー研究』
『戦闘技術の歴史2 中世編』
『ルネサンス宮廷大全』
『ルネサンス精神の深層』
ウェルギリウス Vergilius
- 生没
- 紀元前70年10月15日~紀元前19年
概要
ウェルギリウスは、紀元前1世紀の男性。
著作
『アエネイス』
『田園詩』
『農耕詩』
正式名
プブリウス・ウェルギリウス・マロ、Publius Vergilius Maro
別表記
ヴィルジリオ、Virgil、Vergil
関連項目
The Borgias: 104
外部リンク
参考文献
『ルネッサンスの光と闇』
『ルネサンス精神の深層』
『イコノロジー研究』
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
『ルネサンス宮廷大全』
『ルネサンスの華』
『Lucretia Borgia』
ホラティウス Horatius
- 生没
- 紀元前65年12月8日~紀元前8年11月27日
概要
ホラティウスは、古代ローマ時代の南イタリアの詩人。
著作
『書簡詩』Epistulae
正式名
クィントゥス・ホラティウス・フラックス、Quintus Horatius Flaccus
別表記
ホラチウス、Horace
外部リンク
参考文献
『ルネサンス精神の深層』
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
ヒュギヌス Gaius Iulius Hyginus
- 生没
- 紀元前64年頃~17年
概要
ヒュギヌスは、紀元前1世紀~2世紀の男性、ラテン語の著作家。
著作
『神話集』
『天文詩』
外部リンク
プロペルティウス Sextus Aurelius Propertius

概要
セクストゥス・アウレリウス・プロペルティウスは、紀元前1世紀の男性、ラテン語のエレギア詩人。
外部リンク
参考文献
『イコノロジー研究』
オウィディウス Publius Ovidius Naso

- 生没
- 紀元前43年~紀元17年
概要
オウィディウスは、紀元前1世紀~紀元1世紀の男性。
著作
恋の歌
恋愛術(恋の技法)
恋愛治療
名婦の書簡
転身物語
祭暦
哀歌(悲しみの歌)
黒海からの手紙
イービス
別表記
オヴィディウス、オーヴィッド
外部リンク
ウィキペディア
山下太郎のラテン語入門
The Latin Library
参考文献
『イコノロジー研究』
『ルドヴィコ・イル・モーロ―黒衣の貴族』
『ルネサンス精神の深層』
『ルネサンスの華』
『ルネッサンスの光と闇』
セネカ Lucius Annaeus Seneca

- 生没
- 紀元前4年?~紀元後65年
概要
ルキウス・アンナエウス・セネカは、紀元前1世紀~1世紀の男性。
著作
悲劇
『パエドラ』
『狂えるヘルクレス』
『トロイアの女たち』
『メデア』
『フェニキアの女たち』
『オエディプス』
『アガメムノン』
『テュエステス』
『オエタ山上のヘルクレス』(偽作の疑い)
『オクタウィア』(偽作)
随筆・書簡
『怒りについて』(De Ira)
『寛容について』(De Clementia)
『賢者の不動心について』(De Constantia Sapientiis)
『心の平静について』(De Tranquillitate Animi)
『人生の短さについて』(De Brevitate Vitae)
『幸福な人生について』(De Vita Beata)
『神慮について』(De Providentia)
『善行について』(De Beneficiis)
別表記
小セネカ
外部リンク
参考文献
『世界大百科事典』
『ルネサンス宮廷大全』
プリニウス Gaius Plinius Secundus
- 生没
- 22/23年~79年8月24日
概要
ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは、1世紀の男性。
著作
『博物誌』
別表記
大プリニウス、老プリニウス、Pliny
外部リンク
参考文献
『ルネサンスの華』
『ルネサンス精神の深層』
ペルシウス Aulus Persius Flaccus

概要
ペルシウスは、1世紀の古代ローマの男性、詩人。
外部リンク
参考文献
『ルネサンス精神の深層』
フラウィウス・ヨセフス Titus Flavius Josephus
- 生没
- 37年~100年頃
概要
ティトゥス・フラウィウス・ヨセフスは、1世紀から2世紀のエルサレムの祭司の家系の生まれの男性、帝政ローマ期の政治家、文筆家。
著作
『ユダヤ戦記』
『ユダヤ古代誌』
『アピオーンへの反論』
『自伝』
外部リンク
スタティウス Statius

概要
スタティウスは、1世紀のローマの男性、詩人。
著作
『テーバイド』
『シルウァエ』
『アキレイス』
外部リンク
プルタルコス Πλούταρχος

- 生没
- 46年頃~127年頃
概要
プルタルコスは、1世紀から2世紀のギリシア人の男性、帝政ローマの文筆家。
著作
『対比列伝』
『倫理論集』
年表
46~48年頃
生。
別表記
プルターク、Plutarch、Plutarchus
外部リンク
タキトゥス Publius Cornelius Tacitus
- 生没
- 55年?~120年?
- 出身
- ローマ帝国ベルギカ属州
概要
タキトゥスは、1世紀~2世紀の男性、ローマ帝政期の政治家、歴史家。著作はローマ共和国回顧主義的な主張が多い。
著作
『アグリコラ』Agricola 98年
『ゲルマーニア』Germania 98年
『雄弁家についての対話』Dialogus de Oratoribus 102年
『同時代史』Historiae 105年
『年代記』Annales 117年
年表
55年?
属州のベルギカ(現ベルギー)、騎士身分の家に生(56年、57年)。
??年
幼年期、ローマで学芸の修得。
??年
ウェスパシアヌス帝の治下で軍団付高級将校となる。
77年
アグリコラの娘と結婚。
79年6月24日
ウェスパシアヌス帝、死。ティトゥス、帝位に就く。
81年9月13日
ティトゥス帝、死。ドミティアヌス、帝位に就く。
81年頃
財務官に選ばれ、同時に元老院議員となる。
8?年
護民官。
88年
法務官。
96年9月18日
ドミティアヌス帝、死。ネルウァ、帝位に就く。
97年
補充執政官に選ばれる。
98年1月27日
ネルウァ帝、死。トラヤヌス、帝位に就く。
112~113年
属州アシア総督として小アジアに赴く。
117年8月8日
トラヤヌス帝、死。ハドリアヌス、帝位に就く。
120年?
死。
別表記
Publies
外部リンク
ウィキペディア
現代社会で乙女ゲームの悪役令嬢をするのはちょっと大変
コトバンク
世界史の窓
参考文献
『マキァヴェッリ 忘恩、運命、野心、好機』
『ルネサンス宮廷大全』
パウサニアス Παυσανίας
- 生没
- 115年頃~180年頃
概要
パウサニアスは、2世紀のローマ帝国アシア属州リュディア地方の男性、ギリシアの旅行家、地理学者。
著作
『ギリシア案内記』
外部リンク
ルキアノス Λουκιανός
- 生没
- 120年頃~180年以後
- 出身
- ローマ帝国シリア属州サモサタ
- 没地
- アテナイ
概要
ルキアノスは、2世紀の男性。
著作
『神々の対話』
『死者の対話』
別表記
サモサタのルキアノス、ルキアーノス、ルシアン、Lucianos, Lucianus, Lucinus、Lucian of Samosata
外部リンク
アプレイウス Lucius Apuleius Madaurensis

- 生没
- 123年頃~?
概要
アプレイウスは、2世紀の北アフリカ・マダウロス出身の帝政ローマの男性、弁論作家。
著作
『黄金の驢馬』
『アポロギア』
『フロリダ』
『プラトンとその教説』
『ソクラテスの神について』
『弁明』
翻訳
偽アリストテレス『宇宙論』:ギリシア語からラテン語への翻訳。
外部リンク
アポロドロス Ἀπολλόδωρος
- 生没
- 1~2世紀頃
概要
アポロドロスは、1~2世紀頃のアテナイの男性、文法家。
著作
『ビブリオテケ』
外部リンク
オッピアヌス ὀππιανός
- 生没
- 2世紀
概要
オッピアヌスは、2世紀の男性。
著書
『狩猟法』
別表記
Oppianus
外部リンク
大ピロストラトス Φιλόστρατος
- 生没
- 190年頃~230年頃
- 出身
- ローマ帝国レムノス島
概要
ピロストラトスは、2世紀~3世紀のギリシアの男性、著述家、弁論家、第2次ソフィスト。
著作
『エイコネス』第1巻
別表記
フィロストラトス、フィロストラトゥス
外部リンク
参考文献
『西洋美術解読事典』
『ルネッサンスの光と闇』
プロティノス Πλωτῖνος

- 生没
- 205年?~270年
概要
プロティノスは、3世紀の男性。
著作
『エネアデス』
肖像
別表記
プロティヌス、Plotinos
外部リンク
参考文献
『ルネサンス宮廷大全』
ネロ Nero Claudius Caesar Drusus Germanicus

- 生没
- 38年~68年
概要
ネロは、1世紀の男性。
在位
皇帝 54年~68年
外部リンク
参考文献
『世界大百科事典』
スエトニウス Gaius Suetonius Tranquillus
- 生没
- 70年頃~140年頃
概要
スエトニウスは、ローマ帝国五賢帝時代の歴史家、政治家。
著作
外部リンク
ラクタンティウス Lactantius

- 生没
- 250年頃~325年頃
概要
ラクタンティウスは、3世紀~4世紀の男性。
外部リンク
コンスタンティヌス1世 Constantinus I

- 生没
- 272年2月27日~337年5月22日
- 出身
- モエシア属州ナイッスス(セルビア、ニシュ)
- 没地
- ニコメディア(トルコ、イズミット)
- 父
- コンスタンティウス・クロルス
- 母
- ヘレナ
- 妻
- ミネルウィナ
ファウスタ - 子
- クリスプス
コンスタンティヌス2世
コンスタンティウス2世
コンスタンス1世
コンスタンティナ
ヘレナ
ファウスタ
概要
コンスタンティヌス1世は、3世紀~4世紀の男性。
在位
西方副帝 306年7月25日~312年10月29日
西方正帝 312年10月29日~324年9月19日
ローマ帝国皇帝 324年9月19日~337年5月22日
肖像
全名
ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス、Gaius Flavius Valerius Constantinus
外部リンク
参考文献
『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
『ルネサンス宮廷大全』
ウァレンティニアヌス1世 Valentinianus I
- 生没
- 321年~375年11月17日
概要
ウァレンティニアヌス1世は、4世紀の男性。
在位
ローマ帝国皇帝 364年2月26日~375年11月17日
肖像
別表記
ヴァレンティニアヌス1世
外部リンク
参考文献
『西洋拷問刑罰史』
ヒエロニムス Hieronymus
- 生没
- 340年頃~420年9月30日
概要
ヒエロニムスは、4世紀~5世紀の男性、アンブロシウス、ヒッポのアウグスティヌス、グレゴリウスと並ぶ四大ラテン教父の1人。
持ち物
獅子。
神学に関する学識の擬人像。アレクサンドリアのカタリナと一緒のこともあり、カタリナも同じ意味を持つ。
悔悛の擬人像としてのマグダラのマリアと組むと、学問の擬人像。
肖像
別表記
Sophronius Eusebius Hieronymus、Jerome
外部リンク
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
『ルネサンス宮廷大全』
『ルネサンスの華』
『Lucretia Borgia』
プルデンティウス Prudentius
- 生没
- 348年~413年頃
概要
プルデンティウスは、4世紀~5世紀の男性。
著作
『霊魂の戦い』
別表記
アウレリウス・プルデンティウス、Aurelius Prudentius Clemens
外部リンク
ヒッポのアウグスティヌス Augustine of Hippo
- 生没
- 354年11月13日~430年8月28日
- 母
- モニカ
概要
ヒッポのアウグスティヌスは、4世紀~5世紀の男性、四大ラテン教父の1人。
持ち物
司教冠、書物、燃える心臓。
著作
『告白』
?年~417年『三位一体論』
?年~419年『ヨハネ福音書注解』
?年~426年『神の国』
肖像
本名
Aurelius Augustinus
関連項目
外部リンク
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『西洋美術解読事典』
『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』
『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
『ルネサンス宮廷大全』
『ルネサンス精神の深層』
『ルネサンスの華』
『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
『Eros the Bittersweet』
『Lucretia Borgia』
マルティアヌス・カペラ Martianus Capella
- 生没
- 3??年~
概要
マルティアヌス・カペラはアフリカ生まれのローマ人文筆家で、410年のヴァンダル人のローマ略奪の後に『文献学とメルクリウスの結婚』を書いた。
著作
『文献学とメルクリウスの結婚』
別表記
マルティアーヌス・カペッラ
関連項目
外部リンク
参考文献
『イコノロジー研究』
『ロレンツォ・デ・メディチ暗殺』
シドニウス・アポリナリス Sidonius Apollinaris
- 生没
- 430年頃11月5日~489年8月
- 出身
- 西ローマ帝国ガリア・ルグドゥネンシス属州ルグドゥヌム
- 没地
- ブルグント王国
- 祝日
- 8月21日
概要
シドニウス・アポリナリスは、5世紀の男性、西ローマ帝国元老院議員、詩人、外交官、司教、聖人。多数の書簡、仕えた諸皇帝への賛辞を書いた。
外部リンク
フルゲンティウス Fabius Planciades Fulgentius
- 生没
- 4??年~5??年
概要
フルゲンティウスは、5世紀末から6世紀初頭にかけて活動したラテン語作家。
著作
『神話集』Mithologiae
外部リンク
ボエティウス Anicius Manlius Torquatus Severinus Boethius
- 生没
- 480年~524/25年
- 妻
- ルスティキアナ
概要
ボエティウスは、古代ローマ末期イタリアの男性、哲学者、政治家。
著作
『哲学の慰め』
『三位一体論』
『カトリック信仰論』
『エウティケスとネストリウスとを駁して』
『音楽綱要』
肖像
外部リンク
参考文献
『ルネサンス宮廷大全』
フラウィウス・ベリサリウス Flavius Belisarius

- 生没
- 505年~565年
概要
フラウィウス・ベリサリウスは、6世紀の男性。
別表記
ベリザリオス
外部リンク
ベレンガーリオ2世 Berengario II
- 生没
- 900年頃~966年7月6日
概要
ベレンガーリオ2世は、10世紀の男性。
在位
イタリア王 950年~961年
次代:オットー1世
イヴレーア辺境伯 928年~950年
外部リンク
コンラート4世 Konrad IV

年表
1253年10月10日
ナポリを征服し、シチリアの反乱を鎮圧する。
外部リンク
コンラディン Konradin

- 生没
- 1252年3月25日~1268年10月29日
- 父
- コンラート4世
- 母
- エリーザベト
概要
コンラディンは、13世紀の男性。
在位
シチリア王、エルサレム王 1254年~1268年
外部リンク
ホセ・ホアキン・デ・モンテアレグレ José Joaquin Guzmán de Montealegre y Andrade

概要
ホセ・ホアキン・デ・モンテアレグレは、17世紀から18世紀のスペイン出身の男性、外交官、政治家。
在位
サラス侯爵 ?~1740年
サラス公爵 1740年~1771年4月16日
職歴
王立スペイン学士院会員 1720年~1771年4月16日
両シチリア国務長官 1734年~1746年
ナポリ王国第2代国務長官 1738年8月25日~1746年4月29日
スペイン国務参事官 1748年~1771年
在ヴェネツィア正大使 1748年~1771年4月16日
チェーザレ・ボルジアの剣の所有者
オノラート・カエターニは、フェルディナンド・ガリアーニからチェーザレ・ボルジアの剣を見せてもらった1781年5月23日の日記に、「この剣はスペインでモンタレグロ家に贈られ、ナポリのモンタレグロ公がある人物に譲り、その人物からフェルディナンド・ガリアーニ氏が購入したものである」と書いている。
フェルディナンド・ガリアーニと親交があり、剣を直接目にしたこともあるらしい、アウグスティヌス会修道士アゴスティーノ・チェザレッティはその著書『ピオンビーノ史』(1788年)の注釈にて、「この有名な征服者の剣は、スペインでモンテ・アルバーノ公に贈られ、そこからフェルディナンド・ガリアーニ修道士の手に渡った」と記している。
オノラート・カエターニの又甥ミケランジェロ・カエターニは『スペイン王カルロス3世の歴史的賛辞』(1789年)の注釈において、1759年時点でナポリで「モンテ・アッレグロ公が所持」としている。
当時のモンタルバーノ君主はアントニオ・デ・トレドであるが、複数の領主爵位を有する彼を指すなら、ナポリ王国の小さな領地ではなく、ヴィリャフランカ・デル・ビエルソ侯の方が一般的であると思われる。また、彼がイタリアを訪れたことがあるのか否か、など詳しい文献は見つからず。よって、「モンテ・アルバーノ公」は誤記であると判断してよいだろう。
フェルディナンド・ガリアーニがナポリ王国大使秘書になったのはホセ・ホアキン・デ・モンテアレグレが失脚して駐ヴェネツィア大使となった後の1759年であり、仲介者を通しての購入だったこと、また、この情報の少なさからみて、両者に面識はおそらくなかっただろう。
フェルディナンド・ガリアーニが剣を手にしたのは、パリからナポリに戻った1769年から1773年までの間だろうと思われる。ホセ・ホアキン・デ・モンテアレグレが亡くなったのは1771年なので、おそらく死後売却されたものを購入したのだろう。
つまり、スペインでモンタレグロ家に贈られたという情報は伝聞である可能性が高い。本当だろうか。
カルロス・デ・ボルボンにナポリ王国の大臣に抜擢される以前のホセ・ホアキン・デ・モンテアレグレは、スペインの外交官を務めてはいたようだが取り立てた人物でも、大貴族であるわけでもなかったようである。彼が1734年にスペインからナポリに持ち込んだと、シャルル・イリアルトは書いているが、これは推測に過ぎない。スペイン王国軍が勝利し、ナポリ入城を果たした年を示しただけである。1759年には剣がナポリに存在したという、ミケランジェロ・カエターニが本文にあまり関係のない注釈を書き入れているが、やはり推測だろう。ホセ・ホアキン・デ・モンテアレグレはその時ヴェネツィアにいたはずである。
ホセ・ホアキン・デ・モンテアレグレがいつどこで剣を入手したのか。その剣がチェーザレ・ボルジアのものであるということを彼が認識していたのかどうか。遺言書や手紙などに記述はないのか。詳しく調べる必要がある。
年表
1692年3月7日
セビリアにて、生(1692年3月20日、1692年7月3日、1698年)。
1720年~1771年4月16日
王立スペイン学士院会員となる。席次はU。
1722年
国務省の報告書によれば、「高貴な、中流の、又は卑しい身分のいずれに属するかは不明」と記載あり。
1730年
サンティアゴ騎士団騎士に叙される。
1731年10月20日
カルロス・デ・ボルボンに従い、セビリアを出発。
1731年12月27日
リヴォルノに到着。
1734年11月30日
カプア包囲戦にて、ハプスブルク帝国軍に対してスペイン王国軍が勝利。
1738年8月25日
マヌエル・ドミンゴ・デ・ベナヴィデスに代わり、ナポリ王国国務長官に就任。
1746年4月29日
国務長官を解任される。
1748年
ナポリ王国及びスペインのヴェネツィア共和国駐在大使に任命される(1749年)。
1754年6月
ヴェネツィアにて、エンセナーダ侯爵宛てに手紙をしたためる。
1771年4月16日
ヴェネツィアにて、死(1771年6月16日)。
埋葬地
ヴェネツィア、サン・ジェレミア教会
別表記
Giuseppe Gioacchino di Montallegro、Duke of Montallagro
外部リンク
Google Books
Google Books
Historia Hispánica
Real Academia de la Historia
Treccani
Wikipedia
参考文献
『Autour des Borgia』
『Elogio storico di Carlo III re delle Spagne』
『The Sword of Cesar Borgia』
フェルディナンド・ガリアーニ Ferdinando Galiani

概要
フェルディナンド・ガリアーニは、18世紀のイタリアの男性、経済学者。
年表
1735年7月
父方のおじターラント大司教チェレスティーノ・ガリアーニについてナポリに行く。
1759年~1769年5月
ナポリ王国大使秘書として、パリに滞在。
1759年3月22日
パリにて、ベルナルド・タヌッチ宛に手紙を書く。
1773年10月2日
ルイーズ・デピネー宛てに手紙をしたためる。
非常に興味深い作品、教皇アレクサンデル6世の子息であるヴァレンティノワ公チェーザレ・ボルジアの剣を所持しています。それには、将来の偉大さと野望を示すような意匠が施されています。どのような回り道を経て、この剣が私の手に渡ったかを説明するのは余計でしょう。これを教皇に献上し、私が習慣としているように、その意匠を説明するための博識な論文を添付したいと考えました。私はペンを手に取り、書き始めました。「チェーザレ・ボルジアが誕生・・・」。そこで終わってしまいました。蔵書にも記載がなければ、友人たちの誰も彼が何年に生まれたか知らなかったのですから。
1774年3月5日
ナポリにて、ルイーズ・デピネー宛てに手紙をしたためる。
1774年3月12日
ナポリにて、ルイーズ・デピネー宛てに手紙をしたためる。
ナポリにて、ルイーズ・デピネー宛てに手紙をしたためる。
1774年8月13日
ナポリにて、ルイーズ・デピネー宛てに手紙をしたためる。
1775年4月7日
ルイーズ・デピネー宛てに手紙をしたためる。
1775年9月16日
ナポリにて、ルイーズ・デピネー宛てに手紙をしたためる。
1777年5月24日
ナポリにて、ルイーズ・デピネー宛てに手紙をしたためる。
1778年6月13日
ルイーズ・デピネー宛てに手紙をしたためる。
1781年
スペイン大使パオロ・ジローラモ・グリマルディのローマの宮殿に滞在。
1781年5月23日
オノラート・カエターニが訪問。チェーザレ・ボルジアの剣を見せる。
1787年7月31日
サン・ジョルジョにて、アゴスティーノ・チェザレッティ宛に手紙をしたためる。
1787年10月14日
チェーザレ・ボルジアの剣とそれに関して収集した記録を、オノラート・カエターニにナポリ通貨3百ドゥカートで売却するように、遺言書に記載。
前述の遺言執行者たちは、ローマにいるオノラート・カエターニ卿に対し、3百ナポリ・ドゥカートで有名なヴァレンティーノ公の剣と、それに関する私が収集した記録を売ると約束したことを知っておくべきである。このため、彼に上記の価格で剣を売るよう申し出るようお願いする。しかし、もし彼が購入の意欲を失った場合、その剣は私の名においてロシア皇后陛下に謙譲し、贈呈するものとする。これは、私が陛下から受けた数々の恩恵に対する無限の感謝の印である。
1787年10月20日
この日付で、パドヴァにて、『ピオンビーノ史』著者でアウグスティヌス会修道士アゴスティーノ・チェザレッティが、フェルディナンド・ガリアーニ宛に手紙をしたためる。
私の胸に重くのしかかっているのは、あのチェーザレ・ボルジアの剣のことです。あなたが、その人物についてのあまり知られていない歴史や、その剣の象徴についてのあなたの好奇心溢れる発見を、誰かに口述してくだされば、それはギリシャやローマの浅浮彫などよりも、学者たちの興味を大いに掻き立てることでしょう。その口述を終えた後、それをパドヴァに送っていただければ、私はまたとない貴重な贈り物を受け取ることになるでしょう。
1787年10月29日
遺言書に付言を追加。
1787年10月30日
20刻頃、ナポリにて、死。
遺言書が開封される。
1848年5月15日
グラヴィーナのオルシーニ宮殿が火災によって破壊され、そこにあったホラティウスの生涯と詩についての手稿が焼失。
別表記
l'abate Galiani、Abbate Ferdinando Galiani
外部リンク
参考文献
ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe

- 生没
- 1749年8月28日~1832年3月22日
概要
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、18世紀から19世紀のドイツの男性、文筆家。
1786年から1788年にかけてのイタリア旅行で触れた美術や自然、宗教、人々などの様々な事柄について、滞在中の書簡や日記などを元にまとめた『イタリア紀行』を約28年を経て執筆した。
外部リンク
フランチェスコ・カンチェッリエーリ Francesco Girolamo Cancellieri
概要
フランチェスコ・カンチェッリエーリは、18世紀~19世紀のイタリアの男性、歴史家、司書。
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参考文献
『Lettera del ch. sig. ab. Francesco Cancellieri al ch. sig. D. Sebastiano Ciampi』
フェルナンデス・デ・ナバッレテ Fernandèz de Navarrete
- 生没
- 1765年11月9日~1844年10月8日
- 出身
- アバロス
- 没地
- マドリード
- 父
- フランシスコ・アントーニオ・フェルナンデス・デ・ナバッレテ
- 母
- カタリナ・ヒメネス
概要
フェルナンデス・デ・ナバッレテは、18世紀~19世紀のスペインの男性、貴族、海軍人、歴史家。
外部リンク
参考文献
『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
ジョージ・ゴードン・バイロン George Gordon Byron
- 生没
- 1788年1月22日~1824年4月19日
- 子
- エイダ・ラブレス
概要
ジョージ・ゴードン・バイロンは、18世紀~19世紀の男性、詩人。
ルクレツィア・ボルジアの髪を1本盗んだことがあるという。
在位
第6代バイロン男爵
外部リンク
参考文献
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『Lucretia Borgia』
フェリーチェ・ロマーニ Felice Romani
- 生没
- 1788年1月31日~1865年1月28日
概要
フェリーチェ・ロマーニは、18世紀~19世紀の男性。
著作
外部リンク
ヘンリー・コール Henry Cole

- 生没
- 1808年7月15日~1882年4月18日
概要
ヘンリー・コールは、19世紀のイギリスの男性、公僕。
委員の1人として、大博覧会の余剰金18万6千ポンドを英国の科学と芸術教育の改善に使用するという決定に貢献。土地はサウス・ケンジントン地域で購入され、アルベルトポリスとして知られる教育及び文化機関の中心地として開発された。産業への適用性を参照して英国の芸術とデザイン教育の基準を改善するために政府によって設立された実用芸術部門の最初の総監督にヘンリー・コールが任命される。この立場で、マールボロ・ハウスの装飾美術館として始まったヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の発展に尽力し、現在の場所への移転を監督。1857年から1873年まではサウス・ケンジントン博物館と呼ばれていたヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の最初の館長になった。
年表
1869年
「チェーザレ・ボルジアの剣の鞘」をフィレンツェにてW.スペンスを通して百ポンドで購入。
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フェルディナンド・グレゴロヴィウス Ferdinand Gregorovius
- 生没
- 1821年1月19日~1891年5月1日
- 出身
- プロイセン王国ニジツァ
- 没地
- バイエルン王国ミュンヘン
概要
フェルディナンド・グレゴロヴィウスは、19世紀のドイツの男性、歴史家。
著作
別表記
グレゴロビウス
外部リンク
参考文献
アレッサンドロ・アデモッロ Alessandro Felice Ademollo
概要
アレッサンドロ・フェリーチェ・アデモッロは、19世紀のイタリアの男性、作家、歴史学者。
著作
『ローマ駐在フランス大使フランチェスコ・ド・ノアイユ』1875年、1886年
『ジャチント・ジッリとその日記』1877年
『ローマの製粉税』1877年
『ルクレツィア・ボルジアと真実』1877年
『17世紀及び18世紀のローマの謝肉祭』1883年
『リヴィア・チェザリーニ、修道女の結婚』1883年
『18世紀のイタリア喜劇俳優一家』1885年
『ペルゴラ劇場の初期の栄光』1885年
『ローマの謝肉祭におけるアレクサンデル6世、ユリウス2世、レオ10世』1886年
『コリッラ・オリンピカ』1887年
『17世紀のローマの劇場』1888年
『マントヴァ宮廷における「美しきアドリアーナ」』1888年
『18世紀後半の在伊フランス人冒険家』1891年
外部リンク
パスクアーレ・ヴィッラーリ Pasquale Villari
- 生没
- 1827年10月3日~1917年12月11日
概要
パスクアーレ・ヴィッラーリは、19世紀~20世紀の男性。
別表記
パスクアーレ・ヴィラーリ
外部リンク
参考文献
『メディチ家の人びと』
『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
『Lucretia Borgia』
『The Life of Cesare Borgia』
シャルル・イリアルト Charles Émile Yriarte

- 生没
- 1832年12月5日~1898年4月7日
- 出身
- フランス共和国パリ
- 没地
- フランス共和国パリ
概要
シャルル・イリアルトは、19世紀のフランスの男性、歴史家、著述家。
著作
『La societe espagnole』1861年
『Sous la tente, souvenir du Maroc』1862年
『Paris grotesque, les célébrités de la rue 1815-63』1864年
『Les cercles de Paris, 1828-64』1865年
『Portraits parisiens』1865年
『Nouveaux portraits parisiens』1869年
『Goya, sa vie, son œuvre』1867年
『Portraits cosmopolites und Tableaux de la guerre』1870年
『Les Prussiens a Paris et le 18 mars』1871年
『Campagne de France 1870-71』1871年
『Les princes d'Orleans』1872年
『Le Puritain』1873年
『La vie d'un patricien de Venise au seizième siècle』1874年
『La Bosnie et l'Herzegovine pendant l'insurrection』1875年
『Venise: l'histoire, l'art, l'industrie, la ville et la vie』1877年
『Les bords de l'Adriatique』1878年
『Florence』1880年
『Un condottiere au XV. siècle: Rimini』1882年
『Françoise de Rimini』1882年
『Matteo Civitali』1885年
『Cesar Borgia』1889年(全2巻)
『Autour des Borgia』1891年
外部リンク
エルヴィン・パノフスキー Erwin Panofsky
- 生没
- 1892年3月30日~1968年3月14日
概要
エルヴィン・パノフスキーは、19世紀~20世紀の男性。
著作
『イコノロジー研究』
関連項目
外部リンク
記載日
2005年5月29日以前
更新日
2025年9月2日