美術品 14~15世紀前半

ピサ大聖堂説教壇 Pulpito della Cattedrale di Pisa

作者
ジョヴァンニ・ピサーノ
制作
1301年
媒材
大理石
高さ
455 cm

概要

 「ピサ大聖堂説教壇」は、ジョヴァンニ・ピサーノ作の彫刻。



剛毅

関連項目

 『イコノロジー研究

外部リンク

 Art Renewal Center
 IDLE SPECULATIONS
 Web Gallery of Art
 Wikimedia Commons

参考文献

 『イコノロジー研究

スクロヴェーニ礼拝堂壁画 Affreschi della Cappella degli Scrovegni

作者
ジョットー
制作
1304~1306年
媒材
フレスコ画

概要

 「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」は、ジョットー作の絵画、壁画。

目次

マギの礼拝
キリストの洗礼
哀悼

外部リンク

 Web Gallery of Art

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』

マギの礼拝 Adorazione dei Magi

作者
ジョットー
制作
1304~1306年
媒材
フレスコ画
寸法
200 cm × 185 cm (without decoration

概要

 「マギの礼拝」は、ジョットー作の絵画、壁画。「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」の部分。

題材

 東方の三博士

別表記

  Adoration of the Magi

外部リンク

 Web Gallery of Art
 Wikipedia

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』

キリストの洗礼 Battesimo di Cristo

作者
ジョットー
制作
1304~1306年
媒材
フレスコ画
寸法
200 × 185 cm(装飾除く)

概要

 「キリストの洗礼」は、ジョットー作の絵画、壁画。「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」の部分。

題材

 キリストの洗礼

別表記

 Baptism of Christ

外部リンク

 Web Gallery of Art
 Wikipedia

哀悼 Compianto sul Cristo Morto

制作
1304~1306年
媒材
フレスコ画
寸法
200 × 185 cm

概要

 「哀悼」は、ジョットー作の絵画、壁画。「スクロヴェーニ礼拝堂壁画」の部分。

題材

 イエス・キリスト

別表記

 LamentationThe Mourning of Christ

外部リンク

 Web Gallery of Art
 Wikipedia

純潔の寓意図 

作者
ジョットー派
制作
1320~1325年頃
媒材
フレスコ画
所蔵
アッシジサン・フランチェスコ教会

概要

 「純潔の寓意図」は、ジョットー派が描いた絵画、壁画。

純潔の寓意図

備考

 Web Gallery of Artではジョットー本人が描いたことになっている。

関連項目

 『イコノロジー研究

外部リンク

 cocanhadame-licorneWeb Gallery of Art

参考文献

 『イコノロジー研究

死の勝利 Il Trionfo della Morte

作者
ブオナミーコ・ブファルマッコ
制作
1336~1341年
媒材
フレスコ画
寸法
1500 cm × 560 cm
所蔵
ピサのカンポサント

概要

 「死の勝利」は、ブオナミーコ・ブファルマッコ作の絵画。

外部リンク

 Meisterwerke der Malerei.
 Modellazione Virtuale
 Wikipedia

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』

都市における善政の効果 Effetti del Buon Governo in città

作者
アンブロージョ・ロレンツェッティ
制作
1338~1340年
所蔵
シエナ市庁舎

概要

 「都市における善政の効果」は、アンブロージョ・ロレンツェッティ作の絵画。

別表記

 善政の結果

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』

田園における善政の効果 Effetti del Buon Governo in campagna

作者
アンブロージョ・ロレンツェッティ
制作
1338~1340年
所蔵
シエナ市庁舎

概要

 「田園における善政の効果」は、アンブロージョ・ロレンツェッティ作の絵画。

別表記

 善政の結果

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『世界の歴史16 ルネサンスと地中海』

司教シモーネ・サルタレリの墓 Monumento per Arcivescovo Saltarelli

作者
ニーノ・ピサーノ
制作
1341~1342年
所蔵
ピサ、聖カテリーナ教会

概要

 「司教シモーネ・サルタレリの墓」は、ニーノ・ピサーノ作の廟墓彫刻。

関連項目

 『イコノロジー研究

外部リンク

 Wikimedia Commons

参考文献

 『イコノロジー研究

ベルナボ・ヴィスコンティの墓 Monumento funebre di Bernabò Visconti

作者
ボニーノ・ダ・カンピオーネ、工房
制作
1363年、石棺1385年
媒材
カンドリア産大理石
所蔵
スフォルツェスコ城

概要

 「ベルナボ・ヴィスコンティの墓」は、ボニーノ・ダ・カンピオーネ作の廟墓彫刻。

 1360年から1363年にかけてボニーノ・ダ・カンピオーネが制作した等身大の騎馬像と、ベルナボ・ヴィスコンティの死後1385年に加えられた、おそらく工房の助手たちによる12本の柱で支えられた石棺で構成されている。
 ベルナボ・ヴィスコンティはサン・ジョヴァンニ・イン・コンカ大聖堂を拡張し、主祭壇の上に自らを等身大の姿に表した白大理石の騎馬像を据えさせた。1385年に亡くなった後、この大きな騎馬像は墓碑の一部となり、新たに制作された石棺の上に据えられ、そこに埋葬された。墓碑はその後、主祭壇の背後に置かれ、約2世紀にわたりその場所に留まった。
 1570年3月6日のサン・ジョヴァンニ・イン・コンカ大聖堂訪問の後、ミラノ大司教カルロ・ボッロメオは、この記念碑を主祭壇から移し、大聖堂の奥、入口から入って左側、すなわち鐘楼入口の空間に置くよう命じた。同時に、主祭壇は後方へ移され、記念碑が移動したことで生じた空間を占めることになった。
 ナポレオン政権によるミラノの教会の度重なる閉鎖の後、移転された。サン・ジョヴァンニ・イン・コンカ大聖堂は現存せず。

外部リンク

 Wikipedia

ドミニコ会の活動と勝利 Esaltazione dell'ordine domenicano

作者
アンドレア・ディ・ボナイウート
制作
1365年~1367年
媒材
フレスコ画
所蔵
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会スペイン礼拝堂

概要

 「ドミニコ会の活動と勝利」は、アンドレア・ディ・ボナイウート作の絵画、壁画。

ベルナボ・ヴィスコンティ

題材

 ベルナボ・ヴィスコンティ
 ベアトリーチェ・デッラ・スカーラ
 ジル・アルヴァレス・カリーリョ・デ・アルボルノス

別表記

 教会の戦いと勝利

外部リンク

 イタリア芸術を楽しむ
 Wikimedia Commons
 wps+(ワールド・フォト・サービス)

裸の真理 

著者
オピキヌス・デ・カニストリス
制作
1350~1351年
所蔵
ヴァティカン図書館
番号
Palatinus latinus 1993, fol 26

概要

 「裸の真理」は、オピキヌス・デ・カニストリス著の書物の挿絵。

別表記

 Nude Truth

関連項目

 『イコノロジー研究

公式サイト

 DigiVatLib

参考文献

 『イコノロジー研究

洗礼者ヨハネの銀祭壇 Altare argenteo di San Giovanni

作者
複数
制作
1367~1483年
媒材
所蔵
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂付属美術館

概要

 「洗礼者ヨハネの銀祭壇」は、複数の作者による鋳物。カリマーラ組合が発注。

構成

 洗礼者ヨハネ
 洗礼者ヨハネの誕生

題材

 洗礼者ヨハネ

外部リンク

 Wikipedia

洗礼者ヨハネ San Giovanni Battista

作者
ミケロッツォ
制作
1452年
媒材
所蔵
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂付属美術館

概要

 「洗礼者ヨハネ」は、ミケロッツォ作の鋳物。

題材

 洗礼者ヨハネ

外部リンク

 Wikipedia

洗礼者ヨハネの誕生 Nascita di Giovanni Battista

作者
アントーニオ・デル・ポッライオーロ
制作
1477~1483年頃
媒材
所蔵
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂付属美術館

概要

 「洗礼者ヨハネの誕生」は、アントーニオ・デル・ポッライオーロ作の鋳物。「洗礼者ヨハネの銀祭壇」を構成する、様々な芸術家によって制作された一連の場面の1つ。

題材

 洗礼者ヨハネ

別表記

 洗礼者の誕生

外部リンク

 Wikipedia

イサクの犠牲 Sacrificio di Isacco

作者
フィリッポ・ブルネッレスキ
制作
1401~1402年
媒材
金鍍金した青銅
寸法
45 cm×横38 cm
所蔵
バルジェッロ国立美術館

概要

 「イサクの犠牲」は、フィリッポ・ブルネッレスキ作の鋳物。サン・ジョヴァンニ洗礼堂の第2門扉のために行われた制作競技に出品した作品。

 競技の課題には旧約聖書のイサクの燔祭が選ばれた。これはアブラハムが神の命令に従って自分の息子イサクを犠牲に捧げようとする。その時、アブラハムの信仰に感じた神が天使を遣わしてイサクを救う、という劇的な主題である。
 参加者はこれをブロンズの浮き彫りに仕上げて提出する。制作期間は1年間と定められ、その間の制作費と生活費が保証され、優勝者には門扉全体の制作が依頼されることになった。

 競技には、シエナの彫刻家ヤコポ・デッラ・クエルチャ、フィレンツェの金銀細工師ロレンツォ・ギベルティとフィリッポ・ブルネッレスキなど、当時トスカーナ地方で名を知られていた7人の芸術家が参加した。
 その審査員は実質的にはフィレンツェの市民自身だった。15世紀のフィレンツェでは、芸術作品への豊かな関心や鑑識眼が市民としての重要な素質とされ、旺盛な批判精神、実力主義のものの考え方が深く浸透していたのである。
 この2人の作品は、バルジェッロ国立美術館に6百年後の現在も2つ並べて展示されている。

題材

 アブラハム
 天使

外部リンク

 Wikipedia

ベッサリオン枢機卿の聖遺物箱 Reliquiario del cardinale Bessarione

作者
ヴェネト=ビザンティン派工房
制作
14~15世紀
媒材
木材、銀、金鍍金の透かし細工、エナメル、硝子、宝石
所蔵
ヴェネツィア・アッカデミア美術館
番号
S. 19

概要

 「ベッサリオン枢機卿の聖遺物箱」は、ヨハネス・ベッサリオンが加入した兄弟会スクオーラ・デッラ・カリタに寄贈した聖遺物箱。キリストが磔にされた十字架の一部とされる木片2つ、及びキリストの衣の断片とされる布2枚が納められている。
 これを保護する目的で制作された箱の扉絵が、ジェンティーレ・ベッリーニ作の「ベッサリオン枢機卿と聖遺物箱」である。

公式サイト

 Gallerie dell'Accademia di Venezia

外部リンク

 Web Gallery of Art
 Wikidata

コンスタンティヌス大帝のメダル 

作者
ミシュレ・サルモン
制作
1402~1413年頃、フランス
媒材
銅合金
寸法
直径9.32 cm
所蔵
ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
ウィーン美術史美術館
大英博物館
ナショナル・ギャラリー・ワシントン
フリック・コレクション
メトロポリタン美術館

概要

 「コンスタンティヌス大帝のメダル」は、1400年頃フランスで制作されたメダル。

 CONSTANTINVS IN XPO DEO FIDELIS IMPERATOR ET MODERATOR ROMANORVM ET SEMPER AVGVSTVS

 MIHI ABSIT GLORIARI NISI IN CRVCE DOMINI NOSTRI IHV XPI
 自然と恩寵が生命の泉の両側に示されている。

題材

 コンスタンティヌス1世

関連項目

 『イコノロジー研究

公式サイト

 British Museum
 National Gallery of Art
 The Frick Collection
 The Metropolitan Museum of Art
 Victoria and Albert Museum

参考文献

 『イコノロジー研究

フランチェスコとニコラ・デッラングイッラーラの墓 Tomba di Francesco e Nicola dell'Anguillara

作者
パオロ・ダ・グアルド・カッターネオ
制作
1406年頃
所蔵
カプラーニカ、サン・フランチェスコ教会

概要

 「フランチェスコとニコラ・デッラングイッラーラの墓」は、パオロ・ダ・グアルド・カッターネオ作の廟墓彫刻。

被葬者

 フランチェスコ・デッラングイッラーラ
 ニコラ・デッラングイッラーラ

外部リンク

 Capranica Storica
 Catalogo Generale dei Beni Culturali
 Flickr

ブルネッレスキの十字架 Crocifisso di Brunelleschi

作者
フィリッポ・ブルネッレスキ
制作
1410~1415年頃
媒材
木材
寸法
高さ170 cm
所蔵
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

概要

 「ブルネッレスキの十字架」は、フィリッポ・ブルネッレスキ作の彫刻。

外部リンク

 Wikipedia

ラディスラオ1世・ダンジオの墓 Monumento funebre a Ladislao di Durazzo

作者
アンドレア・ディ・オノフリオと助手
制作
1414~1428年頃
媒材
大理石
寸法
高さ1800 cm
所蔵
ナポリ、サン・ジョヴァンニ・ア・カルボナーラ教会

概要

 「ラディスラオ1世・ダンジオの墓」は、アンドレア・ディ・オノフリオ作の廟墓彫刻。

題材

 ラディスラオ1世・ダンジオ

外部リンク

 Wikipedia

パオロ・サヴェッリの墓 Monumento funebre a Paolo Savelli

作者
ヤコポ・デッラ・クエルチア
制作
1410年代
媒材
木製
所蔵
サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂

概要

 「パオロ・サヴェッリの墓」は、ヤコポ・デッラ・クエルチア作のゴシック様式の廟墓彫刻。

 ヴェネツィア共和国が傭兵隊長のために建てた最初の墓碑で、ローマの貴族でヴェネツィア軍の司令官を務め、1405年10月3日にパドヴァ包囲戦の最中に疫病で亡くなったパオロ・サヴェッリを弔っている。
 獅子の頭とサヴェッリ家の紋章が装飾された持ち送りに支えられた大理石製の棺は、ダッレ・マゼーニェ工房の作で、ここに遺骸が埋葬されている。
 その上には、金箔と彩色が施された木製の騎馬像が置かれており、ビロードの上着と赤い帽子を身に着け、左手で手綱を握り、右手には指揮棒を持っている。ヤコポ・デッラ・クエルチアの作とされることもあれば、ヴェネツィアで活動していた無名のトスカーナ人彫刻家によるものとされることもある。

題材

 パオロ・サヴェッリ

外部リンク

 Web Gallery of Art
 Wikipedia

サトゥルヌス 

制作
1420~1425年頃、フランス
媒材
銀筆素描
所蔵
ドレスデン版画素描館

概要

 「サトゥルヌス」は、フランスにて15世紀に制作された銀筆素描。

題材

 サトゥルヌス

関連項目

 『イコノロジー研究

外部リンク

 Monoskop

参考文献

 『イコノロジー研究

寛容 Liberalità

作者
オッタヴィアーノ・ネッリ
制作
1424~1425年頃
媒材
フレスコ画
寸法
143 cm×横113 cm
所蔵
コンソーリ宮殿

概要

 「寛容」は、オッタヴィアーノ・ネッリ作の絵画。壁画だったが取り外されている。

展示会

 2022年グッビオ、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ生誕6百年展

外部リンク

 Finestre sull'Arte

テオフィロの息子の蘇生と教座のペテロ Resurrezione del figlio di Teofilo e san Pietro in cattedra

作者
マザッチオフィリッピーノ・リッピ
制作
1427~1480年
媒材
フレスコ画
寸法
230 cm×横599 cm
所蔵
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会ブランカッチ礼拝堂

概要

 「テオフィロの息子の蘇生と教座のペテロ」は、マザッチオフィリッピーノ・リッピ作の絵画、壁画。

フィリッピーノ・リッピピエロ・デル・プリエーゼ

フィリッピーノ・リッピルイジ・プルチ

題材

 ペテロ
 ピエロ・デル・プリエーゼ
 ルイジ・プルチ

別表記

 テオフィルスの息子の蘇生と教座のペテロ、アンティオキアの王子を蘇生させる聖ピエトロ

外部リンク

 Wikipedia

スピネッタ・マラスピーナ侯の記念碑 Monumento al Marchese Spinetta Malaspina

作者
アントーニオ・ダ・フィレンツェ、ピエロ・ランベルティ、ジョヴァンニ・ディ・マルティーノ・ダ・フィエーゾレ
制作
1430~1435年頃、ヴェローナ
媒材
漆喰、大理石、イストリア石
寸法
899.2 cm×横487.7 cm×厚み90 cm
所蔵
ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
番号
191-1887

概要

 「スピネッタ・マラスピーナ侯の記念碑」は、アントーニオ・ダ・フィレンツェ作とされる彫刻作品で、ピエロ・ランベルティとジョヴァンニ・ディ・マルティーノ・ダ・フィエーゾレによる人物像を伴う。

 1352年に亡くなったスピネッタ・マラスピーナを称えるため、後代、レオナルド・マラスピーナとその息子ガレオット・マラスピーナが制作させた記念碑。

 スピネッタ・マラスピーナがヴェローナ市外に創建したサン・ジョヴァンニ・イン・サッコ教会に設置されたが、1517年にヴェネツィア共和国がヴェローナのヴェネツィア領城壁から1マイル以内にある全ての建物の撤去を命じたため、同教会は1518年に取り壊された。

 この記念碑は墓ではなく、彼が傭兵隊長として果たした役割と、教会の創建者としての立場を記念するために作られたものである。かつてM. SPINETAE FVNDATORI ANNO MCCCLII(スピネッタ侯爵、創建者、1352年)という銘文が記されていたこと、遺言書における埋葬の指示が異なることから、それは明らかである。
 騎馬像という形式はヴェローナに典型的なものである。元々この彫刻は、鮮やかな彩色が施され、金箔で飾られていたと考えられている。列状に並ぶ人物像の背後にある石棺は象徴的なもので、この記念碑が実際の遺体を収めない空墓として理解されるべきことを示している。

LEONARDO MARCHIONI DE MALASPINIS ET GALEOTO EI' FILIO HEREDES POSVERVNT. PATREM PROLES VETVSTAS FORTITVDO PIETAS. REI MILITARIS SCIENTIA DECO
RARVNT. IS XXV. ETATIS ANNO DVX COPIARVM SENENSIS
POPVLI FVIT. BONONIAM PROTEXIT EXERCITVM. VICENTIAE. CIVITALE. FELTRVM REGENS AGRVM PATAVINVM
MAGNIS COPIIS FATIGAVIT. POSTREMO. DVM BONOMIAM
ITERUM PROTEGIT IBI MORITVR. FILIVM. PATER.IVRIS
SCIENTIA ET VITE INTEGRITAS ILLUSTRARVNT.
レオナルド・マラスピーナ侯爵とその息子ガレオットは、この碑を建立した。
父は、子ら、古き家柄、勇気、敬虔さ、軍事の知識によって名誉を与えられた。
彼は25歳の時、シエナ人民の軍勢の総司令官であった。
ボローニャにおいて軍を守り、ヴィチェンツァ、チヴィダーレ、フェルトレを統治し、
パドヴァの地を大軍をもって苦しめた。
そして最後には、再びボローニャを守っている最中に、そこで死んだ。
息子は、父によって法学の知識と清廉な生涯によって輝かされた。

 撤去前の記念碑を描いた版画に示されているように、1516年の撤去に関する小さな四角い碑文の上部にある長方形部分が空白になっており、この碑文は元来の記念碑の一部ではなかったと考えられる。同じ碑文は教会内の別の場所にも見られ、おそらく後の時代に現在の位置に彫り込まれたか、あるいは挿入された可能性がある。

MAVSOLEVM VERO IN SVBVRBA
NO SACCO OLIM CONSTRVCTVM
BELLOQ. MD.XVI.DIRVTVM HIC. MARCH. MALASPI. AERE M.D.XXXVI
EST AFFABRE REPARATVM
M.I.M. GVB
郊外のサッコ地区にかつて建てられ、
1516年の戦争で破壊された霊廟は、
ここにおいてマラスピナ侯爵の費用により
1536年に巧みに修復された。
統治者ヤコポ・マラスピーナ侯爵

 この碑文は、教会が聖別解除され、記念碑が撤去された時点で、その下にあったものである。

公式サイト

 V&A

外部リンク

 Academia.edu

東方三博士の礼拝 Adorazione dei Magi

作者
フラ・アンジェリコフィリッポ・リッピ
制作
1430~1455年頃
媒材
テンペラ、板
寸法
137.2 cm×横137.2 cm
所蔵
ナショナル・ギャラリー・ワシントン

概要

 「東方三博士の礼拝」は、フラ・アンジェリコフィリッポ・リッピ作の絵画、トンド。フラ・アンジェリコが制作を開始し、フィリッポ・リッピが完成させたと言われている。

題材

 東方の三博士

別表記

 Tondo Cook

公式サイト

 National Gallery of Art

外部リンク

 MUSEY
 Wikipedia

ローマ教皇エウゲニウス4世の肖像 Portrait du pape Eugène IV

作者
ジャン・フーケ
制作
1431~1447年

概要

 「ローマ教皇エウゲニウス4世の肖像」は、ジャン・フーケ作の失われた絵画、肖像画。

1568年の模写

題材

 エウゲニウス4世

外部リンク

 Wikimedia Commons

青銅の扉 Porta del Filarete

作者
フィラレテ
制作
1433~1445年
媒材
ブロンズ
所蔵
サン・ピエトロ大聖堂
注文
エウゲニウス4世

概要

 「青銅の扉」は、フィラレテ作の鋳物。

エウゲニウス4世の生涯

 教皇エウゲニウス4世に伴い、皇帝ジギスムント・フォン・ルクセンブルクのもとへ騎馬で向かうアントーニオ・リド。「アントーニオ・リドの墓」への強い影響が窺える。

別表記

 Bronze door

外部リンク

 Academia.edu
 Web Gallery of Art
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

東方三博士の礼拝 Adorazione dei Magi

作者
ドメニコ・ヴェネツィアーノ
制作
1435年頃
媒材
テンペラ、ポプラの板
寸法
90 cm×横90 cm
所蔵
ベルリン絵画館

概要

 「東方三博士の礼拝」は、ドメニコ・ヴェネツィアーノ作の絵画。
 ロレンツォ・イル・マニーフィコの死後、1492年に作成されたメディチ宮殿の目録に、ピサネッロの影響を受けたトンドの記載があり、寸法が合致するためこの作品を指している可能性が高い。

 白と黒の服を着ている人物はピエロ・イル・ゴットーソに似ており、その左はジョヴァンニ・デ・メディチだと言われている。1434年にコジモ・イル・ヴェッキオフィレンツェの権力を掌握して以降、毎年1月6日にメディチ家公現祭を執り行うようになり、したがって東方三博士の礼拝という主題は政治的意味を含んでいる。

題材

 東方の三博士
 ピエロ・イル・ゴットーソ
 ジョヴァンニ・デ・メディチ

公式サイト

 SMB-digital

外部リンク

 Wikipedia

十字架降下 Kreuzabnahme Christi

作者
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
制作
1435年頃
寸法
220 × 262 cm
所蔵
プラド美術館
番号
P02825

概要

 「十字架降下」は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン作の絵画。

題材

 イエス・キリスト

別表記

 Descent of Christ from the Cross

外部リンク

 Museo Nacional del Prado

翼のある少年 Fanciullo alato

作者
アントーニオ
制作
1435年頃
媒材
金鍍金した青銅
寸法
高さ61.6 cm×幅27.9 cm
所蔵
メトロポリタン美術館

概要

 「翼のある少年」は、ドナテッロの工房で制作された鋳物。
 メディチ宮殿が現在の姿に変貌する以前の1436年、中庭に石工ベット・ダントーニオが噴水を制作。1432年にアントーニオという名の画家、塗装工が金鍍金した「小さな精霊」への支払いの記録が、ほぼ間違いなく噴水の上に取り付けられた本作のことである。後に、1492年のメディチ宮殿の目録で「玉の上の青銅像」として記載されているのも、この作品だろう。
 翼と翼の付いた靴を履く子どもは、銀行家のメディチ家が信仰した商売の神メルクリウスと、フィレンツェの人々が毎年待ち望んでいる5月に吹く西風のゼピュロスの特徴を併せ持つ。風車又は球などの上に片足で立ち、上げた手で持っていた物から水を吹き出していた様子が見て取れる。球、パレはメディチ家の紋章を想起させるものである。様々な視点から見られるように作られ、下からが最適な角度であり、元々は高い台座を意図していたと思われる。

題材

 メルクリウス
 ゼピュロス

公式サイト

 The Metropolitan Museum of Art

外部リンク

 Wikipedia

サン・マルコ祭壇画 La Pala di San Marco

作者
フラ・アンジェリコ
制作
1440年頃
媒材
テンペラ、板
寸法
220 × 227 cm
所蔵
サン・マルコ修道院

概要

 「サン・マルコ祭壇画」は、フラ・アンジェリコ作の絵画。

題材

 聖母子
 コジモ・イル・ヴェッキオ
 ロレンツォ・イル・ヴェッキオ

外部リンク

 Wikipedia
 Web Gallery of Art

参考文献

 『メディチ家』

フランス王シャルル7世の肖像 Portrait du roi Charles VII

作者
ジャン・フーケ
制作
1440~1460年
媒材
油彩、オークの板
寸法
85.7 cm×横70.6 cm
所蔵
ルーヴル美術館

概要

 「フランス王シャルル7世の肖像」は、ジャン・フーケ作の絵画、肖像画。

題材

 シャルル7世

公式サイト

 Louvre Collections

外部リンク

 Wikimedia Commons

レオナルド・ブルーニの墓 Monumento Funebre di Leonardo Bruni

作者
ベルナルド・ロッセリーノ
制作
1444~1447年
高さ
610 cm
所蔵
サンタ・クローチェ聖堂

概要

 「レオナルド・ブルーニの墓」は、ベルナルド・ロッセリーノ作の廟墓彫刻。

被葬者

 レオナルド・ブルーニ

別表記

 Tomb of Leonardo Bruni

関連項目

 『イコノロジー研究

外部リンク

 Web Gallery of Art
 Wikipedia

参考文献

 『イコノロジー研究

シエナのカンポ広場で説教する聖ベルナルディーノ Prediche di San Bernardino

作者
サノ・ディ・ピエトロ
制作
1445年
所蔵
シエナ大聖堂付属美術館

概要

 「シエナのカンポ広場で説教する聖ベルナルディーノ」は、サノ・ディ・ピエトロ作の絵画。

外部リンク

 Wikimedia Commons

サンタ・ルチア・ダ・マニョーリ祭壇画 Pala di Santa Lucia de' Magnoli

作者
ドメニコ・ヴェネツィアーノ
制作
1445~1447年
媒材
テンペラ、板
所蔵
ウフィッツィ美術館

概要

 「サンタ・ルチア・ダ・マニョーリ祭壇画」は、ドメニコ・ヴェネツィアーノ作の絵画。
 左から聖フランチェスコ・ダッシジ洗礼者ヨハネ聖母子、聖ザノービ、聖女ルチア。

ダヴィデの星

 床のモザイクには、色大理石で作られた1つ1つの区画に、2つの正三角形を重ねたダヴィデの星が1つずつ巧みに入れられている。

シラクーザのルチア

 サンタ・ルチアはシチリア、シラクーザの出身で、紀元304年頃に殉教。乳房を切り取られたり、歯を抜かれたり、火あぶりになったり、およそ考え付く限りのひどい目に会って、最後には短剣でのどを突かれて亡くなった。
 しかしながら彼女の名前、ルチアは「光」を意味しており、目の疾患の守護聖女とみなされたことから、違う伝説も生まれた。それは、恋人が彼女の目をあまりに褒めるので、いらだって自分でえぐりだしたとか、ローマ兵にえぐりだされたが、奇跡の力で元に戻ったとかというものである。
 そのようなわけで図像としては、彼女は取り出された目玉と一緒に描かれる。よく見るとこの「サンタ・ルチア・ダ・マニョーリ祭壇画」の中でも、彼女が携えている小さなお盆の上に、2つの目が目玉焼きのように載っているのが分かるだろう。

題材

 フランチェスコ・ダッシジ
 洗礼者ヨハネ
 聖母子

別表記

 聖母子と4人の聖者、聖会話

外部リンク

 Art in Tuscany
 HumanitiesWeb.org
 mariのページ
 Virtual Art Gallery
 Wikipedia

参考文献

 『ルネッサンスの光と闇』

道化師ゴンネッラの肖像 Ritratto del buffone Gonella

作者
ジャン・フーケ
制作
1445~1450年
媒材
油彩、オーク
寸法
36.3 cm×横25.9 cm
所蔵
ウィーン美術史美術館
番号
Gemäldegalerie, 1840

概要

 「道化師ゴンネッラの肖像」は、ジャン・フーケ作とされる絵画、肖像画。エステ家に仕える宮廷道化師ピエトロ・ゴンネッラを描いたものと考えられている。

題材

 描かれている人物は、赤と黄と緑の縞からなる紋章的色彩の衣装を纏い、フランスで一般的であった様式の帽子を被っている。右手には手袋を嵌めているが、これは原作に後から施された加筆である可能性が高い。道化は両手を交差させ、頭を傾け、まるで窓から身を乗り出しているかのように、鑑賞者に非常に近い位置に配置されている。腕を交差させて前方へ突き出るような構図はこの時代の貴族肖像としては異例であり、モデルの低い社会的身分と関係していると考えられる。鋭い眼差し、深い皺、口角が上がりつつも苦々しいその表情でもって、強烈な個性を放っている。

 描写対象の衣装、赤と黄と緑色のミ・パルティは、エステ家と近しい関係にあったことを示している可能性がある。1659年付のオーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・ハプスブルクの財産目録において、「小さな肖像画・・・・。短い髭を生やし、赤い帽子を被り、赤と黄色の衣装を着た道化ゴネッラの肖像」で、「アルブレヒト・デューラー風」のジョヴァンニ・ベッリーニによる原作の模写として記載されている。さらに、17世紀に制作された模写が存在し、それにIL. VERO. RITRATO. DEL. GONELA.という銘文を伴っていることから、エステ家の宮廷道化として知られるピエトロ・ゴンネッラに同定されている。

ピエトロ・ゴンネッラ Pietro Gonnella

 ピエトロ・ゴンネッラの逸話がマッテオ・バンデッロの『短編小説集』第17話に記されている。ニッコロ3世・デステが間欠熱で重病に陥った際、ピエトロ・ゴンネッラは「驚かせることによる治療法」を知っていると称した。散策の途中、道化は突然、主君をポー川の浅瀬に突き落としたのである。ニッコロ3世・デステは回復したが、同じやり方で報いようと決め、ピエトロ・ゴンネッラをフェッラーラから追放すると告げた。処罰されないだろうと高を括って戻ったピエトロ・ゴンネッラは、侯の命により捕らえられて投獄され、近く処刑されるとの布告がなされた。「処刑」の当日、ピエトロ・ゴンネッラが処刑台に頭を載せた瞬間、執行人は彼に冷水を浴びせかけた。その衝撃で驚愕死してしまったという。侯はこの不幸な冗談を道化に仕掛けたことを深く後悔した。
 この逸話に従えば、ピエトロ・ゴンネッラの死はニッコロ3世・デステの死よりも前ということになる。しかし、著者のマッテオ・バンデッロが同時代人ではない上、オビッツォ3世・デステの宮廷に属していたとする史料や、死を1441年とする説も存在し、活動時期などの情報に混乱が見られる。
 また、1677年のボローニャのコスピアーノ博物館遺贈品目録によれば、1460年にボルソ・デステからパッパヴォルジョなる短剣を賜ったという。

画家

 年輪年代学的分析に基づくと、本作が描かれているバルト海産オーク材は15世紀第2四半期に遡る。北欧では広く用いられていた素材である一方、イタリアの絵画では極めて稀である。
 この肖像画にイタリア絵画の影響が見られないため、ジャン・フーケが作者であれば、ローマで「ローマ教皇エウゲニウス4世の肖像」を描く前にフェッラーラに滞在したのだろうと言われている。逆に、ピエトロ・ゴンネッラがシャルル7世の宮廷を訪れ、そこで画家が彼を目にしたとする仮説も提唱されている。
 本作は、ジャン・フーケによる「フランス王シャルル7世の肖像」及び「ギヨーム・ジュヴネル・デ・ユルサンの肖像」と様式的に近いことを指摘されている。腕を交差させた人物像は、ジャン・フーケ並びにその追随者ジャン・コロンブの細密画にしばしば登場する。

 また、モデルとなった人物は、「アランソン公の裁判」の場面の前景に描かれた群衆の中の一人物と似ている。横顔で描かれたこの年配の観客は、細密画中の大勢の人々とは異なり、明確に個別化された肖像的特徴を備えている。帽子に施されたオコジョの縁取りは、王に近い立場にあったことを示唆している可能性がある。
 1981年に行われた赤外線調査によって、下描きの上にフランス語による色名の書き込みが存在することが明らかになった。完全に判読可能な文字は白と赤であり、他に2つの断片的な書き込みも残っている。これらの所見は、この肖像画がフランス人画家、あるいはフランス語に堪能な人物によって制作されたとする仮説を支持するものである。

公式サイト

 Kunsthistorisches Museum

外部リンク

 Wikipedia

聖母子 Madonna col bambino che mostra un cartiglio

作者
ルカ・デッラ・ロッビア
制作
1446~1449年
媒材
テラコッタ
所蔵
捨て子養育院

概要

 「聖母子」は、ルカ・デッラ・ロッビア作のテラコッタ。

題材

 聖母子

外部リンク

 Wikimedia Commons

エウゲニウス4世の墓 Tomba di papa Eugenio IV

作者
イザイア・ダ・ピサ
制作
1447~1464年
所蔵
サン・サルヴァトーレ・イン・ラウロ教会

概要

 「エウゲニウス4世の墓」は、イザイア・ダ・ピサ作のの廟墓彫刻。

被葬者

 エウゲニウス4世

外部リンク

 Wikimedia Commons

カテリーナ・ダ・シエナの墓 Sarcofago di Santa Caterina da Siena

作者
イザイア・ダ・ピサ
制作
1447~1464年
所蔵
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂

概要

 「カテリーナ・ダ・シエナの墓」は、イザイア・ダ・ピサ作のの廟墓彫刻。

被葬者

 カテリーナ・ダ・シエナ

外部リンク

 Wikimedia Commons

ニッコロ・アッチャイウオリの肖像 Niccolò Acciaiuoli

作者
アンドレア・デル・カスターニョ
制作
1448~1451年頃
媒材
フレスコ画
寸法
250 cm×横150 cm
所蔵
ウフィッツィ美術館

概要

 「ニッコロ・アッチャイウオリの肖像」は、アンドレア・デル・カスターニョ作の絵画、壁画。

題材

 ニッコロ・アッチャイウオリ

外部リンク

 Wikimedia Commons

名声の凱旋 Il Trionfo della Fama

作者
ロ・スケッジア
制作
1449年頃
媒材
テンペラ、銀、金
寸法
直径92.7 cm
所蔵
メトロポリタン美術館

概要

 「名声の凱旋」は、ロ・スケッジアの作品、出産祝いの盆。デスコ・ダ・パルトという、産婦への菓子など贈り物を載せるためのもので、ロレンツォ・イル・マニーフィコの誕生祝いの品。

 フランチェスコ・ペトラルカの『凱旋歌集』からとられた寓意画である。剣とクピドを持つ翼の生えた名声の擬人に向かい、騎士たちが忠誠を誓って手を伸ばしている。台座の球体部分から出ている翼の付いた喇叭は名声の勝利を響かせ、その下には捕虜たちが縛り付けられている。縁周りの3色の駝鳥の羽は、ロレンツォ・イル・マニーフィコの父ピエロ・イル・ゴットーソの個人紋章である。
 マザッチオの弟が描いたものがフィレンツェメディチ宮殿にあるロレンツォ・イル・マニーフィコの私室に保管されていた。

 ピエロ・イル・ゴットーソの個人紋章である3つの駝鳥の羽が付いたダイヤモンドの指輪に、SEMPER(永遠に)と書かれた帯が巻き付いている。紋章はかなり摩耗しており、銀は酸化してしまっている。

 ピエロ・イル・ゴットーソは1444年にルクレツィア・トルナブオーニと結婚し、その長男であるロレンツォ・イル・マニーフィコは1449年に生まれた。両者の一族の紋章が左上と右上にある。

題材

 クピド

公式サイト

 The Metropolitan Museum of Art

外部リンク

 Insecula.com
 Mediateca di Palazzo Medici Riccardi
 The Metropolitan Museum of Art

参考文献

 『ルネサンス宮廷大全』

名声と時と永遠の勝利 I Trionfi

作者
ペセッリーノ
制作
1450年頃
媒材
テンペラ、金、木
寸法
45.4 × 157.4 cm
所蔵
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館

概要

 「名声と時と永遠の勝利」は、ペセッリーノ作の絵画。

題材

 クロノス

別表記

 The Triumphs of Fame, Time, and Eternity

関連項目

 『イコノロジー研究

公式サイト

 Isabella Stewart Gardner Museum

外部リンク

 コービス
 Isabella Stewart Gardner Museum
 Isabella Stewart Gardner Museum

参考文献

 『イコノロジー研究

フェッランテ・ダラゴーナの肖像 Ritratto di Ferrante d'Aragona

制作
1450~1475年頃、ナポリ
媒材
大理石
寸法
高さ0.435 m×幅0.545 m×奥行0.297 m
所蔵
ルーヴル美術館

概要

 「フェッランテ・ダラゴーナの肖像」は、ナポリで制作された彫刻、胸像。作者はピエトロ・ダ・ミラノともドメニコ・ガジーニとも言われている。

題材

 フェッランテ・ダラゴーナ

公式サイト

 Louvre Collections

外部リンク

 Wikimedia Commons

シャルルマーニュの戴冠 Sacre de Charlemagne

作者
ジャン・フーケ
制作
1455~1460年
所蔵
フランス国立図書館
番号
Français 6465, fol. 89v

概要

 「シャルルマーニュの戴冠」は、ジャン・フーケ作の絵画、細密画、『フランス大年代記』挿絵。

題材

 シャルルマーニュ
 サン・ピエトロ大聖堂

外部リンク

 Wikimedia Commons

カリストゥス3世の墓の断片 Prima tomba di papa Callisto III

作者
パオリーノ・ディ・アントーニオ・ビナスコ
制作
1459年
媒材
大理石
所蔵
サン・ピエトロ大聖堂地下墓所

概要

 「カリストゥス3世の墓の断片」は、1457年から1463年まで工房から報酬を得ていた無名の彫刻家パオリーノ・ディ・アントーニオ・ビナスコ作の廟墓彫刻。1458年8月6日にローマで亡くなったカリストゥス3世の墓で、おそらくリュイス・ジョアン・デル・ミラ枢機卿とロデリク・デ・ボルジャ枢機卿が発注。

 当初は旧サン・ピエトロ大聖堂に隣接していたサンタ・マリア・デッレ・フェッブレ教会アンデレ大ヤコブの礼拝堂に安置されていたが、現在はサン・ピエトロ大聖堂の地下墓所に移されており、遺骨はサンタ・マリア・イン・モンセッラート・デリ・スパーニョリ教会にある。

 イエス・キリストの左右に、カリストゥス3世が列聖したヴィンチェンツォ・フェッレーリと聖オズムンドが刻まれている。

題材

 カリストゥス3世
 ヴィンチェンツォ・フェッレーリ
 イエス・キリスト

外部リンク

 Alamy
 Flickr
 FONDAZIONE ZERI
 Google Books
 Hotels.com
 Termometro Politico
 Wikimedia Commons
 Wikimedia Commons
 Wikimedia Commons

聖アンデレの聖遺物入れ Busto reliquiario di Sant'Andrea

作者
シモーネ・ギーニ
制作
1462~1463年
所蔵
ピエンツァ大聖堂付属美術館

概要

 「聖アンデレの聖遺物入れ」は、シモーネ・ギーニ作の彫刻。ピウス2世が発注。

題材

 アンデレ

外部リンク

 Wikimedia Commons

サトゥルヌスと彼の子供たち 

制作
15世紀中葉
媒材
木版刷本の木版画

概要

 「サトゥルヌスと彼の子供たち」は、15世紀中葉に制作された木版刷本の木版画。

題材

 サトゥルヌス

関連項目

 『イコノロジー研究

外部リンク

 Billy and Charlie's Finest Quality Pewter GoodsEl ArkaJournal of Historians of Netherlandish Art

参考文献

 『イコノロジー研究

アキレウスとブリセイスとエウリュバテスとタルテュビオス Euribate e Taltibio tolgono Briseide ad Achille che si commiata da lei con un bacio

作者
ベルナルディーノ・ディ・ナンニ
制作
1490~1500年頃
媒材
テンペラ、板
寸法
31.4 cm×横63.3 cm
所蔵
エクーアン城
番号
inv. 7499

概要

 「アキレウスとブリセイスとエウリュバテスとタルテュビオス」は、ベルナルディーノ・ディ・ナンニ作とされている絵画。

展示会

 2022年グッビオ、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ生誕6百年展

外部リンク

 Finestre sull'Arte

記載日

更新日

 2026年2月16日