Malaspina

マラスピーナ家

ガブリエーレ・マラスピーナ Gabriele Malaspina

生没
12??年~1289年
出身
ヴェッルコラ
イスナルド・マラスピーナ
クビトーザ・デステ
スピネッタ・マラスピーナ
ヴィスコンテ・マラスピーナ
イスナルド・マラスピーナ
タッデア・マラスピーナ
アッツォリーノ・マラスピーナ
アンドリオーロ・マラスピーナ
?・マラスピーナ

概要

 ガブリエーレ・マラスピーナは、13世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Geneanet
 Wikipedia

スピネッタ・マラスピーナ Spinetta Malaspina il Grande

生没
1282年~1352年3月
出身
ヴェッルコラ
没地
フォスディノーヴォ
ガブリエーレ・マラスピーナ
ベアトリーチェ・ヴィスコンティ
ジョヴァンナ・ノヴェッラ・マラスピーナ
ギッダ・マラスピーナ
エリザベッタ・マラスピーナ
キアーロ・マラスピーナ
フランチェスキーノ・マラスピーナ
ジョヴァンニ・マラスピーナ
グアルティエロット・マラスピーナ
ボッカッチョ・マラスピーナ

概要

 スピネッタ・マラスピーナは、13世紀から14世紀のイタリアの男性。

在位

 フォスディノーヴォ領主 1340年~1352年

年表

1310年

ベアトリーチェ・ヴィスコンティと結婚。

1352年

ヴェローナの、市壁の外でサン・ジョルジョ門の周辺に広がるサッコ地区にサン・ジョヴァンニ・イン・サッコ教会を建設。近くに貧者のための病院や、没落した貴族のための救護院も建てさせる。

1352年3月1日

重病に罹患し、遺言書を作成。ヴェローナかヴィチェンツァで死した場合は、ヴェローナのサン・ジョヴァンニ・イン・サッコ教会に埋葬すること。トスカーナのルニジャーナで死した場合は、自らが生まれ、拡張も行ったヴェッルコラ要塞の隣にあるサンタ・マルゲリータ・デッラ・ヴェッルコラに埋葬されること。名誉ある大理石の棺に葬られること。フィヴィッツァーノに病院を創設するための多額の資金と、ヴェローナのサン・ジョヴァンニ・イン・サッコ教会に没落した貴族のための救護院を設立するための資金を遺す。

1352年3月

フォスディノーヴォ城にて、死。埋葬地は不明。

肖像


アントーニオ・ダ・フィレンツェ
スピネッタ・マラスピーナ侯の記念碑

外部リンク

 Wikipedia

イスナルド・マラスピーナ Isnardo Malaspina

生没
12??年~13??年
ガブリエーレ・マラスピーナ
アンジェリカ・ディ・ヴェローナ
アッツォリーノ・マラスピーナ
ニッコロ・マラスピーナ
スピネッタ・マラスピーナ

概要

 イスナルド・マラスピーナは、13世紀から14世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Google Books

アッツォリーノ・マラスピーナ Azzolino Malaspina

生没
1280年頃~1327年
ガブリエーレ・マラスピーナ

ジョヴァンナ・カニョーリ
ガレオット1世・マラスピーナ
グリエルモ・マラスピーナ
イザベッラ・マラスピーナ
ガブリエーレ・マラスピーナ

概要

 アッツォリーノ・マラスピーナは、13世紀から14世紀のイタリアの男性。

年表

1327年

死(1326年)。

外部リンク

 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE
 Geneanet

ジョヴァンナ・ノヴェッラ・マラスピーナ Giovanna Novella Malaspina

生没
1320年頃~1385年頃
出身
フォスディノーヴォ
没地
マントヴァ
スピネッタ・マラスピーナ
ベアトリーチェ・ヴィスコンティ
ルチェンブルゴ・スピノーラ
ルドヴィーコ1世・ゴンザーガ
ゲラルディーノ・スピノーラ
アッツォ・ゴンザーガ
フランチェスコ・ゴンザーガ
ヤコポ・ゴンザーガ
マリオ・ゴンザーガ
トンマージナ・ゴンザーガ
オリエッタ・ゴンザーガ

概要

 ジョヴァンナ・ノヴェッラ・マラスピーナは、14世紀のイタリアの女性。

年表

1340年

ルドヴィーコ1世・ゴンザーガと結婚。

外部リンク

 Wikipedia

ニッコロ・マラスピーナ Niccolò Malaspina

生没
1330年頃~1416年
イスナルド・マラスピーナ
アンジェリカ・ディ・ヴェローナ
バルトロメオ・マラスピーナ
アポッローニア・マラスピーナ

概要

 ニッコロ・マラスピーナは、14世紀から15世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Google Books
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ガレオット1世・マラスピーナ Galeotto Malaspina

生没
1???年~1367年3月15日
出身
フォスディノーヴォ
没地
フォスディノーヴォ
アッツォリーノ・マラスピーナ
ジョヴァンナ・カニョーリ
アルジェンティーナ・グリマルディ
ガブリエーレ・マラスピーナ
スピネッタ・マラスピーナ
レオナルド・マラスピーナ
アニェーゼ・マラスピーナ
コッラディーノ・マラスピーナ
ルチア・マラスピーナ

概要

 ガレオット・マラスピーナは、14世紀頃のイタリアの男性。

在位

 フォスディノーヴォ領主 1352年~1355年
 ヴェローナ領主 1352年~
 フォスディノーヴォ侯 1355年~1367年

年表

1352年

おじスピネッタ・マラスピーナのヴェローナ領を相続。

1355年

皇帝カール4世により、フォスディノーヴォ侯として叙任される(1353年)。

1367年3月15日

フォスディノーヴォにて、死(1365年)。

埋葬地

 フォスディノーヴォ、サン・レミージョ教会

外部リンク

 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE
 Wikipedia

バルトロメオ・マラスピーナ Bartolomeo Malaspina

生没
13??年~1418年6月
ニッコロ・マラスピーナ
マルゲリータ・アングイッソラ
ジョヴァンナ・マラスピーナ
スピネッタ・マラスピーナ

概要

 バルトロメオ・マラスピーナは、14世紀から15世紀のイタリアの男性。

年表

1399年

マルゲリータ・アングイッソラと結婚。

外部リンク

 Google Books
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スピネッタ・マラスピーナ Spinetta Malaspina

生没
1???年~1398年
ガレオット1世・マラスピーナ
アルジェンティーナ・グリマルディ
ジョヴァンナ・ガンバコルタ
マルゲリータ・バルビアーノ
アントンアルベリーコ1世・マラスピーナ
ガブリエーレ・マラスピーナ
レオーナ・マラスピーナ

概要

 スピネッタ・マラスピーナは、14世紀頃のイタリアの男性。

在位

 フォスディノーヴォ侯 1393年~1398年

外部リンク

 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE
 Wikipedia

レオナルド・マラスピーナ Leonardo Malaspina

生没
1340年頃~1403年7月13日
出身
フォスディノーヴォ
没地
ボローニャ
ガレオット1世・マラスピーナ
アルジェンティーナ・グリマルディ
カテリーナ・デ・ロッシ
ガレオット・マラスピーナ
レオナルド・マラスピーナ
アルジェンティーナ・マラスピーナ
アントーニオ・マラスピーナ

概要

 レオナルド・マラスピーナは、14世紀から15世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE

ジョヴァンナ・マラスピーナ Giovanna Malaspina

生没
1???年~14??年
バルトロメオ・マラスピーナ
マルゲリータ・アングイッソラ
アントンアルベリーコ1世・マラスピーナ
ヤコポ1世・マラスピーナ
ラッツァーロ・マラスピーナ
ガブリエーレ・マラスピーナ
スピネッタ・マラスピーナ
シモーネ・マラスピーナ
フランチェスコ・マラスピーナ
アントーニア・マラスピーナ バルトロメオ・マラスピーナ
タッデオ・マラスピーナ
ニコラ・マラスピーナ

概要

 ジョヴァンナ・マラスピーナは、15世紀頃のイタリアの女性。

年表

外部リンク

 Google Books

スピネッタ・マラスピーナ Spinetta Malaspina

生没
1416年~1478年2月9日
バルトロメオ・マラスピーナ
マルゲリータ・アングイッソラ
ルドヴィーカ・コントラーリ
アントーニア・マラスピーナ
ヤコパ・マラスピーナ

概要

 スピネッタ・マラスピーナは、15世紀のイタリアの男性。

年表

1416年春

生。

1478年2月9日

死(1475年)。

外部リンク

 OAPEN Library
 Treccani

参考文献

 『フィレンツェ史』

アントンアルベリーコ1世・マラスピーナ Antonalberico I Malaspina

生没
1???年~1445年4月9日
出身
フォスディノーヴォ
没地
フォスディノーヴォ
スピネッタ・マラスピーナ
マルゲリータ・バルビアーノ
ジョヴァンナ・マラスピーナ
ヤコポ1世・マラスピーナ
ラッツァーロ・マラスピーナ
ガブリエーレ・マラスピーナ
スピネッタ・マラスピーナ
シモーネ・マラスピーナ
フランチェスコ・マラスピーナ
アントーニア・マラスピーナ バルトロメオ・マラスピーナ
タッデオ・マラスピーナ
ニコラ・マラスピーナ

概要

 アントンアルベリーコ1世・マラスピーナは、15世紀頃のイタリアの男性。

在位

 フォスディノーヴォ侯 1398年~1445年
 マッサ侯 1442年~1445年

年表

1418年

ジョヴァンナ・マラスピーナと結婚。

別表記

 Antonio Alberico I

外部リンク

 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE
 Wikipedia

アルジェンティーナ・マラスピーナ Argentina Malaspina

生没
1???年~1387年
レオナルド・マラスピーナ
カテリーナ・デ・ロッシ
テオドーロ2世・パレオロゴ

概要

 アルジェンティーナ・マラスピーナは、14世紀頃のイタリアの女性。

外部リンク

 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE

ヤコポ1世・マラスピーナ Jacopo I Malaspina

生没
142?年~1481年5月18日
出身
フォスディノーヴォ
没地
マッサ
アントンアルベリーコ1世・マラスピーナ
ジョヴァンナ・マラスピーナ
タッデア・ピコ
アントンアルベリーコ2世・マラスピーナ
フランチェスコ・マラスピーナ

概要

 ヤコポ1世・マラスピーナは、15世紀頃のイタリアの男性。

在位

 フォスディノーヴォ侯 1445年~1467年
 マッサ、カッラーラ領主 1445年~1481年

年表

1422~1427年

フォスディノーヴォにて、生。

別表記

 Giacomo I

外部リンク

 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE
 Wikipedia

ラッツァーロ・マラスピーナ Lazzaro Malaspina

生没
1428年~1451年7月4日
出身
フォスディノーヴォ
アントンアルベリーコ1世・マラスピーナ
ジョヴァンナ・マラスピーナ
カテリーナ・マラスピーナ
レオナルド・マラスピーナ
ガレオット・マラスピーナ

概要

 ラッツァーロ・マラスピーナは、15世紀頃のイタリアの男性。

外部リンク

 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE

アントンアルベリーコ2世・マラスピーナ Antonalberico II Malaspina

生没
14??年~1519年4月13日
ヤコポ1世・マラスピーナ
タッデア・ピコ
ルクレツィア・デステ
エレオノーラ・マラスピーナ
リッチャルダ・マラスピーナ
ディアノーラ・マラスピーナ
タッデア・マラスピーナ

概要

 アントンアルベリーコ2世・マラスピーナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性。

在位

 マッサ侯 1481年~1519年
 カッラーラ、モネータ、アヴェンツァ領主 1481年~1519年

年表

1515年以降

遺言書を作成。娘リッチャルダ・マラスピーナの長男を第1の相続人とし、もしその子が早世した場合は次男以下の男子を出生順に、さらに男子がいない場合は四女タッデア・マラスピーナの男子を、そしてそれもいない場合は曾孫の男子を、いずれも出生順に従って相続人とする。最終的にこれらの女系子孫に男子が生まれなかった場合には、相続権は甥ルドヴィーコ・マラスピーナの子フランチェスコ・マラスピーナとオッタヴィアーノ・マラスピーナに移す。こうして、帝国領で当時有効であったサリカ法を一定程度守る形をとり、男子を懐胎し生む年齢に達するまで、遺産と財産の女主人、領主、用益権保持者、相続人としてリッチャルダ・マラスピーナを指名。

別表記

 Antonio Alberico II

外部リンク

 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE
 Wikipedia

フランチェスコ・マラスピーナ Francesco Malaspina

生没
14??年~1484年8月24日
ヤコポ1世・マラスピーナ
タッデア・ピコ
コスタンツァ・フォリアーニ
ルドヴィーコ・マラスピーナ

概要

 フランチェスコ・マラスピーナは、15世紀のイタリアの男性。

在位

 サナッツァーロ侯

年表

1477年12月

コスタンツァ・フォリアーニと結婚(1478年7月)。

1483年

領地の分割をめぐって兄弟アントンアルベリーコ2世・マラスピーナと争い、カッラーラ、アヴェンツァ、モネータを武力で占領。

148?年

アントンアルベリーコ2世・マラスピーナによってカッラーラ、アヴェンツァ、モネータを武力で奪い返される。

1484年8月24日

死(1484年8月23日)。

外部リンク

 Google Books

参考文献

 『Memorie storiche d'illustri scrittori e di uomini insigni della Lunigiana, Vol. II

レオナルド・マラスピーナ Leonardo Malaspina

生没
1450年頃~1505年6月28日以降
ラッツァーロ・マラスピーナ
カテリーナ・マラスピーナ
アウランテ・オルシーニ
ガレオット・マラスピーナ
ジョヴァンニ・マラスピーナ
ヤコポ・マラスピーナ
マッダレーナ・マラスピーナ
テオドージア・マラスピーナ

概要

 レオナルド・マラスピーナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性。

年表

1476年

アウランテ・オルシーニと結婚。

1505年6月28日

遺言書を作成。

外部リンク

 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE

エレオノーラ・マラスピーナ Eleonora Malaspina

生没
1493年~1515年
アントンアルベリーコ2世・マラスピーナ
ルクレツィア・デステ
シピオーネ・フィエスキ

概要

 エレオノーラ・マラスピーナは、15世紀から16世紀のイタリアの女性。

年表

1514年

ラヴァーニャ伯シピオーネ・フィエスキと結婚(1513年、1515年)。

1515年

死。

リッチャルダ・マラスピーナ Ricciarda Malaspina

生没
1497年3月3日~1553年6月15日
出身
マッサ
没地
バーニ・ディ・ルッカ
アントンアルベリーコ2世・マラスピーナ
ルクレツィア・デステ
シピオーネ・フィエスキ
ロレンツォ・チーボ
インノチェンツォ・チーボ
イザベッラ・フィエスキ
エレオノーラ・チーボ
ジューリオ・チーボ
アルベリーコ・チーボ
ジューリア・チーボ
アレッサンドロ・チーボ
クレメンテ・チーボ
エレーナ・チーボ
リッチャルダ・チーボ

概要

 リッチャルダ・マラスピーナは、15世紀から16世紀のイタリアの女性。

在位

 マッサ侯 1519年4月13日~1546年10月6日
 カッラーラ、モネータ、アヴェンツァ領主 1519年4月13日~1546年10月6日
 マッサ侯 1547年6月27日~1553年6月15日
 カッラーラ、モネータ、アヴェンツァ領主 1547年6月27日~1553年6月15日

年表

1497年3月3日

マッサにて、生(1497年3月6日)。

1516年

シピオーネ・フィエスキと結婚(1517年)。

1519年4月13日

アントンアルベリーコ2世・マラスピーナ、死。

1519年

イザベッラ・フィエスキを出産。

1520年2月15日

夫シピオーネ・フィエスキ、マッサにて死。

1520年4月27日

母方のおじエルコーレ・デステに代理権を与える。亡夫シピオーネ・フィエスキの兄弟オットボーノ・フィエスキと、サルザーナ司教シルヴェストロ・デ・ベネッティが立ち会う。

1520年5月14日

ローマにて、エルコーレ・デステが代理権に基づき、リッチャルダ・マラスピーナとロレンツォ・チーボの婚約書に署名。持参金はマッサ侯領及びカッラーラ領。

1520年6月3日

教皇レオ10世の命により、婚約書が改めて作成され、この日公表される。

1523年3月10日

マッサにて、エレオノーラ・チーボを出産。

1525年3月1日

ローマナヴォーナ広場にあるチーボ宮殿(現パンフィーリ宮殿)にて、ジューリオ・チーボを出産。

1525年

密かに皇帝カール5世に相続について訴える。

1527年

ローマ劫掠が迫り、海路でマッサ城へ移住。

1529年7月16日

カール5世により、亡父の領地を自らの名で直接与えられる。法定相続人であるかどうかに関係なく本人の権利として行われ、さらに男子相続が優先されるという条件付きであるものの、サリカ法を完全に無視して、将来にわたり女性による相続も認めるという極めて異例の皇帝勅許だった。

152?年~1533年

エレオノーラ・チーボジューリオ・チーボと共に、ローマに戻る。

1533年~1537年

ルクレツィア・デステと妹タッデア・マラスピーナと共に、フィレンツェの夫ロレンツォ・チーボの所有するパッツィ宮殿に居住。この3人は「マッサの侯女たち」として、芳しくない評判を得ていた。

1534年2月28日

アルベリーコ・チーボを出産。義兄インノチェンツォ・チーボ枢機卿が実父か。

1535年

義妹カテリーナ・チーボもパッツィ宮殿に同居。

1535年頃

ローマにて、ジューリア・チーボを出産。

1548年2月2日

ローマにて、カール5世宛てに手紙をしたためる。息子ジューリオ・チーボの恩赦を嘆願。

1548年5月18日

息子ジューリオ・チーボ、斬首される。

15??年

遺言書を作成。称号の相続人として次男アルベリーコ・チーボを指名し、自分の家系の姓を今後チーボ家の姓の後に加えるよう定める。ちなみに、この慣習は、長男ジューリオ・チーボが政治活動を始めた初期に、彼自身の判断で先駆けて行っていたことである。

1553年6月15日

マッサにて、死(1553年6月13日、1553年6月16日)。

外部リンク

 Famille de Carné
 GENEALOGIE DELLE FAMIGLIE NOBILI ITALIANE
 JDA's Family Tree
 Wikipedia

タッデア・マラスピーナ Taddea Malaspina

生没
1505年~1559年8月6日
アントンアルベリーコ2世・マラスピーナ
ルクレツィア・デステ
ジョヴァンニ・バッティスタ・ボイアルド
アレッサンドロ・デ・メディチ
ジューリア・ボイアルド
ジューリオ・デ・メディチ
ジューリア・ロモーラ・デ・メディチ

概要

 タッデア・マラスピーナは、16世紀のイタリアの女性。

年表

1524年6月21日

ジョヴァンニ・バッティスタ・ボイアルドと結婚。

152?年

ジューリア・ボイアルドを出産。

1528年2月15日

ジョヴァンニ・バッティスタ・ボイアルド、死。

15??年

ルクレツィア・デステと共にフィレンツェに住む。

1530年~1537年頃

フィレンツェ公アレッサンドロ・デ・メディチの愛妾。

1532年

プラートにて、ジューリオ・デ・メディチを出産。

1554年

マッサのサンタ・キアーラ教会の建設を開始させる。

1559年8月6日

死。享年54歳。

別表記

 アンナ・ダ・マッサ、Anna da Massa

外部リンク

 Google Books - The Tragedies Of The Medici
 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家の人びと』

ルドヴィーコ・マラスピーナ Ludovico Malaspina

生没
1484年以前~1500年以降
フランチェスコ・マラスピーナ
コスタンツァ・フォリアーニ
イッポリータ・フィオラモンティ
オッタヴィアーノ・マラスピーナ
フランチェスコ・マラスピーナ

概要

 ルドヴィーコ・マラスピーナは、15世紀から16世紀頃のイタリアの男性。

在位

 サナッツァーロ侯

年表

1485年

兄弟たちとの間で結ばれた分割協定において、カッラーラ、アヴェンツァ、モネータは正式におじアントンアルベリーコ2世・マラスピーナのものとされる。

1496年2月

イッポリータ・フィオラモンティと結婚。

外部リンク

 Google Books

参考文献

 『Memorie storiche d'illustri scrittori e di uomini insigni della Lunigiana, Vol. II

記載日

更新日

 2025年12月27日