マリーノ・グリマーニ Marino Grimani
アントーニオ・グリマーニ Antonio Grimani

- 生没
- 1434年12月28日~1523年5月7日
- 出身
- ヴェネツィア
- 没地
- ヴェネツィア
- 父
- マリーノ・グリマーニ
- 母
- アニェジーナ・モンタネール
- 妻
- カテリーナ・ロレダン
- 子
- ドメニコ・グリマーニ
概要
アントーニオ・グリマーニは、15世紀から16世紀のイタリアの男性。

在位
ヴェネツィア共和国ドージェ 1521年~1523年
年表
1434年12月28日
ヴェネツィアにて、生(1434年1月17日)。
1496年9月14日
アントーニオ・グリマーニとマルコ・モロジーニはミラノに到着し、メルツォ伯ガレアッツォ・スフォルツァに迎えられる。

カルマニョーラ宮殿に宿泊し、チェチーリア・ガッレラーニとルドヴィーコ・カルミナーティに歓待される。
1496年9月15日
アッビアーテグラッソに到着し、フランチェスコ・フォスカリと合流。
3人はヴィジェヴァーノに到着し、カイアッツォ伯ジャンフランチェスコ・サンセヴェリーノとガレオット・ピコに迎えられる。
ガレアッツォ・サンセヴェリーノの宮殿に宿泊し、彼とビアンカ・スフォルツァに歓待される。
1496年9月16日
その場にはアントーニオ・グリマーニ、マルコ・モロジーニの他に、フランチェスコ・フォスカリに随行していたマリン・サヌード、ミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロ、ベアトリーチェ・デステ、ベルナルディーノ・カルバハル枢機卿、ジャンフランチェスコ・サンセヴェリーノ、マルケジーノ・スタンガ、アンジェロ・タレンティなどがいた。
別表記
グリマンノ、Grimanno
外部リンク
参考文献
『イタリア史』
『イタリア・ルネサンスの文化』
ジローラモ・グリマーニ Girolamo Grimani
- 父
- マリーノ・グリマーニ
- 子
- ジョヴァンニ・グリマーニ
ルクレツィア・グリマーニ
別表記
Gerolamo Grimani
ルクレツィア・グリマーニ Lucrezia Grimani
- 生没
- 15??年~
- 父
- ジローラモ・グリマーニ
- 夫
- バルトロメオ・カッペッロ
概要
ルクレツィア・グリマーニは、16世紀頃のイタリアの女性。
年表
1559年
バルトロメオ・カッペッロと結婚。
ドメニコ・グリマーニ Domenico Grimani
- 生没
- 1461年2月19日~1523年8月27日
- 父
- アントーニオ・グリマーニ
- 母
- カテリーナ・ロレダン
概要
ドメニコ・グリマーニは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。
在位
枢機卿 1493年9月20日~1523年8月27日
サン・ニコラ・フラ・レ・インマジニ副助祭枢機卿 1493年9月23日~1498年3月28日
パフォス司教 1493年12月16日~1495年7月3日
ニコシア教区長 1495年7月3日~1495年9月4日
アクイレイア総主教 1498年2月13日~1517年1月19日
サン・ニコラ・フラ・レ・インマジニ助祭枢機卿 1498年3月28日~1503年12月25日
サンタ・マリア・ディ・セスト遥任修道院長 1503年~1523年8月27日
サン・マルコ司祭枢機卿 1503年12月25日~1508年9月22日
首席司祭枢機卿 1508年~1508年9月22日
アルバーノ司教枢機卿 1508年9月22日~1509年6月3日
サン・マルコ遥任司祭枢機卿 1508年9月22日~1523年8月27日
フラスカーティ司教枢機卿 1509年6月3日~1511年1月20日
ポルト・エ・サンタ・ルフィーナ司教枢機卿 1511年1月20日~1523年8月27日
ウルビーノ教区長 1514年5月29日~1523年7月17日
セネダ司教 1517年~1520年
年表
1493年9月20日
アレクサンデル6世により、枢機卿に指名される。

1497年9月6日(水)
朝、サンタ・マリア・ノヴァ聖堂でナポリ王戴冠式から帰還したチェーザレ・ボルジアを迎える。
1497年9月13日
アクイレイア総主教に選出される。
1501年12月23日(木)
イッポーリト・デステのローマ入場をポポロ門の外側で枢機卿19名が出迎える。
別表記
Grimanus
外部リンク
GCatholic.com
The Cardinals of the Holy Roman Church
Wikipedia
参考文献
『イタリア・ルネサンスの文化』
『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
『ヨハン・ブルカルトの日記』
記載日
2005年5月29日以前
更新日
2026年8月5日