Colonna

コロンナ家

オッドーネ・コロンナ Oddone Colonna

生没
1???年~1152年以降
父
ピエトロ・コロンナ
子
ジョルダーノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
オッドーネ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
ランドルフォ・コロンナ
マビーリア・コロンナ

概要

 オッドーネ・コロンナは、12世紀頃のイタリアの男性。

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョルダーノ・コロンナ Giordano Colonna

生没
1???年~1188年以降
父
オッドーネ・コロンナ
子
ジョルダーノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
フェデリーコ・コロンナ

概要

 ジョルダーノ・コロンナは、12世紀頃のイタリアの男性。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ピエトロ・コロンナ Pietro Colonna

父
オッドーネ・コロンナ
子
グレゴーリオ・コロンナ
ステファノ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
グイド・コロンナ
オッドーネ・コロンナ

概要

 ピエトロ・コロンナは、12世紀頃のイタリアの男性。

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョルダーノ・コロンナ Giordano Colonna

生没
11??年~1252年以降
父
ジョルダーノ・コロンナ
妻
フランチェスカ・コンティ
子
オッドーネ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
ジョルダーノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
マッテオ・コロンナ
ランドルフォ・コロンナ
マルゲリータ・コロンナ

概要

 ジョルダーノ・コロンナは、12世紀~13世紀のイタリアの男性。

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

グレゴーリオ・コロンナ Gregorio Colonna

生没
11??年~1213年以降
父
ピエトロ・コロンナ
子
ピエトロ・コロンナ

概要

 グレゴーリオ・コロンナは、12世紀~13世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョヴァンニ・コロンナ Giovanni Colonna

生没
1???年~1293年
父
ジョルダーノ・コロンナ
母
フランチェスカ・コンティ
妻
?・コンティ
子
アガピート・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
ステファノ・コロンナ・イル・ヴェッキオ
ヤコポ・コロンナ
ジョヴァンナ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ

概要

 ジョヴァンニ・コロンナは、13世紀頃のイタリアの男性。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ランドルフォ・コロンナ Landolfo Colonna

生没
12??年~1301年4月22日以前
父
ジョルダーノ・コロンナ
母
フランチェスカ・コンティ
子
ランドルフォ・コロンナ
フランチェスコ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
マルゲリータ・コロンナ
アニェーゼ・コロンナ
ペルナ・コロンナ
マッテオ・コロンナ

概要

 ランドルフォ・コロンナは、13世紀から14世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ピエトロ・コロンナ Pietro Colonna

生没
1???年~1252年以降
父
グレゴーリオ・コロンナ
子
ピエトロ・コロンナ
チェチーリア・コロンナ
ステファノ・コロンナ
アンニーバレ・コロンナ
エジーディオ・コロンナ

概要

 ピエトロ・コロンナは、13世紀頃のイタリアの男性。

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

アガピート・コロンナ Agapito Colonna

生没
1250年頃~1300年頃
父
ジョヴァンニ・コロンナ
母
?・コンティ
妻
マビーリア・サヴェッリ
子
ジョルダーノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ・コロンナ

概要

 アガピート・コロンナは、13世紀頃のイタリアの男性。

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ステファノ・コロンナ・イル・ヴェッキオ Stefano Colonna

生没
1???年~1349年頃
父
ジョヴァンニ・コロンナ
母
?・コンティ
妻
カルチェランダ・デ・インスーラ
子
ステファノ・コロンナ・イル・ジョーヴァネ
ピエトロ・コロンナ
ジョルダーノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
アガピート・コロンナ
ヤコポ・コロンナ
ロレンツォ・コロンナ
エンリコ・コロンナ
マルゲリータ・コロンナ
アニェーゼ・コロンナ
オッドーネ・コロンナ
ルカ・コロンナ

概要

 ステファノ・コロンナ・イル・ヴェッキオは、14世紀頃のイタリアの男性。
 コーラ・ディ・リエンツォが、金モールつきの絹の制服を創案し、白馬に跨り、百名の武装騎兵に護衛させたのを見て、ステファノ・コロンナはそれを嘲笑った。そのため、逮捕される。鎖に繋いでカンピドリオの丘に引き立てられ、人民議会に死刑が要請される。承認が得られた後、しかしコーラ・ディ・リエンツォの気が変わって赦免され、その上官職に任命されかけるが、逃亡し、コーラ・ディ・リエンツォを打倒するために軍勢を糾合する。
 カンピドリオの丘の上で行われたフランチェスコ・ペトラルカの桂冠授賞式で、彼に桂冠を授け、祝辞を述べた。

在位

 パレストリーナ領主

年表

1349年頃

死(1348年12月17日より少し後)。

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Treccani
 Wikipedia

フランチェスコ・コロンナ Francesco Colonna

生没
13??年~
父
ランドルフォ・コロンナ
妻
シモネッタ・デ・カピッリス
子
ランドルフォ・コロンナ
アンドレア・コロンナ
ステファノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
ヤコポ・コロンナ

概要

 フランチェスコ・コロンナは、14世紀頃のイタリアの男性。

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

エジーディオ・コロンナ Egidio Colonna

生没
1243年~1316年12月22日
出身
教皇領ローマ
没地
アヴィニョン
父
ピエトロ・コロンナ

概要

 13世紀末の哲人。ベネディクトゥス14世により堅牢博士とされる。

在位

 ブールジュ大司教 1295年4月25日~1316年12月22日

別表記

 エギディウス、エジディウス、エギディウス・ロマヌス、Egidio Romano、Giles of Rome

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 教えて!HMV
 CATHOLIC ENCYCLOPEDIA
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 Treccani
 Treccani
 Treccani
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 Treccani
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『君主論』
 『快楽の中世史』  『戦闘技術の歴史2 中世編』

ジョルダーノ・コロンナ Giordano Colonna

生没
12??年~1312年以降
父
アガピート・コロンナ
母
マビーリア・サヴェッリ
妻
マルゲリータ・カポッチ
子
ピエトロ・コロンナ

概要

 ジョルダーノ・コロンナは、13世紀から14世紀のイタリアの男性。

年表

1305年

マルゲリータ・カポッチと結婚。持参金としてグロッタ・マロッツァ城の半分を譲られる。

外部リンク

 Geneanet
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 Persée

ステファノ・コロンナ・イル・ジョーヴァネ Stefano Colonna

生没
1???年~1347年
父
ステファノ・コロンナ・イル・ヴェッキオ
母
カルチェランダ・デ・インスーラ
子
ジョヴァンニ・コロンナ
ステファネッロ・コロンナ
ヤコポ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ

概要

 ステファノ・コロンナは、14世紀頃のイタリアの男性。

別表記

 Stefano Colonna the Younger

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Wikipedia
 Wikipedia

参考文献

 『ルネサンスの歴史』

ジョヴァンニ・コロンナ Giovanni Colonna

生没
1295年頃~1348年7月3日
父
ステファノ・コロンナ・イル・ヴェッキオ
母
カルチェランダ・デ・インスーラ

概要

 ジョヴァンニ・コロンナは、13世紀から14世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。フランチェスコ・ペトラルカが仕えたことで知られる。

在位

 枢機卿 1327年12月18日~1348年7月3日
     任命した教皇:ヨハネス22世

外部リンク

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 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『君主論』
 『ルネサンスの歴史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』

アニェーゼ・コロンナ Agnese Colonna

生没
1???年~13??年
父
ステファノ・コロンナ・イル・ヴェッキオ
母
カルチェランダ・デ・インスーラ
夫
オルソ・デッラングイッラーラ
子
ピエトロ・デッラングイッラーラ

概要

 アニェーゼ・コロンナは、14世紀頃のイタリアの女性、ローマ貴族。

年表

1327~1336年

オルソ・デッラングイッラーラと結婚。

外部リンク

 Google Books
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ランドルフォ・コロンナ Landolfo Colonna

生没
13??年~1406年以降
父
フランチェスコ・コロンナ
母
シモネッタ・デ・カピッリス
子
アントーニオ・コロンナ

概要

 ランドルフォ・コロンナは、14世紀から15世紀のイタリアの男性。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ピエトロ・コロンナ Pietro Colonna

生没
1???年~1373年6月15日以降
父
ジョルダーノ・コロンナ
母
マルゲリータ・カポッチ
妻
レティツィア・コンティ
子
アガピート・コロンナ
ファブリツィオ・コロンナ
ステファノ・コロンナ
リータ・コロンナ
フランチェスカ・コロンナ
ジャコベッラ・コロンナ

概要

 ピエトロ・コロンナは、14世紀頃のイタリアの男性。

年表

1373年6月15日

遺言書を作成。

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ステファネッロ・コロンナ Stefanello Colonna

生没
1???年~1368年
父
ステファノ・コロンナ・イル・ジョーヴァネ
妻
サンチャ・カエターニ
子
ジョヴァンニ・コロンナ
ニッコロ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ
アガティーナコロンナ

概要

 ステファネッロ・コロンナは、14世紀頃のイタリアの男性。

在位

 パレストリーナ領主

年表

1368年

死(1366年)。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
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アントーニオ・コロンナ Antonio Colonna

生没
1???年~1432年以降
父
ランドルフォ・コロンナ
子
ガスパーレ・コロンナ
カテリーナ・コロンナ
ヤコポ・ラノルフォ・コロンナ
ジャナンドレア・コロンナ

概要

 アントーニオ・コロンナは、15世紀頃のイタリアの男性。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

アガピート・コロンナ Agapito Colonna

生没
1340年頃~1398年5月23日以降
父
ピエトロ・コロンナ
母
レティツィア・コンティ
妻
カテリーナ・コンティ
子
ジョルダーノ・コロンナ
ヴィットーリア・コロンナ
シキアッラ・コロンナ
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
マルティヌス5世
パオラ・コロンナ
タルシア・コロンナ
レッラ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ

概要

 アガピート・コロンナは、14世紀のイタリアの男性。

年表

1374年

Lord of Genazzano, Palestrina Capranica, San Vito and Ciciliano and Noble Roman。

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 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ニッコロ・コロンナ Niccolò Colonna

生没
13??年~1410年10月22日
没地
パレストリーナ
父
ステファネッロ・コロンナ
母
サンチャ・カエターニ
妻
ヤコパ・コンティ
クラリーナ・コンティ
子
ヤコポ・コロンナ
ステファノ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
シアッラ・コロンナ
マリーア・コロンナ

概要

 ニッコロ・コロンナは、14世紀から15世紀のイタリアの男性。

在位

 パレストリーナ領主

年表

1387年頃

ヤコパ・コンティと結婚。

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ジャナンドレア・コロンナ Gianandrea Colonna

生没
1???年~14??年
父
アントーニオ・コロンナ
妻
アンブロジーナ・アスタッリ
ファウスティーナ・トリンチ
子
アントーニオ・コロンナ
ゴディーナ・コロンナ
ルドヴィーカ・コロンナ
トラディータ・コロンナ

概要

 ジャナンドレア・コロンナは、15世紀頃のイタリアの男性。

年表

1425年

ファウスティーナ・トリンチと結婚。

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ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ Lorenzo Onofrio Colonna

生没
1365年頃~1423年1月
父
アガピート・コロンナ
母
カテリーナ・コンティ
妻
スヴェヴァ・カエターニ
子
オドアルド・コロンナ
アントーニオ・コロンナ
アンナ・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
カテリーナ・コロンナ
ヴィットーリア・コロンナ
イッポーリタ・コロンナ

概要

 ロレンツォ・オノフリオ・コロンナは、14世紀から15世紀のイタリアの男性。

在位

 パリアーノ領主 1417年~1423年

年表

1397年2月15日

スヴェヴァ・カエターニと婚約。

1418年

チェラーノ伯ニコラ・ベラルディ、死。

1418年10月

弟マルティヌス5世の意向を受けたジョヴァンナ2世・ダンジオにより、チェラーノ伯領、アルバ伯領、アヴェッツァーノ、タリアコッツォ、マリャーノ・デイ・マルシ、トラザッコ、オヴィンドリ、ペスカッセローリ、ロッカ・ディ・メッツォ、サン・ベネデット・デイ・マルシ、オルトゥッキオ、ピチニスコを授与される。

1423年1月

モンテフェルトロ地方を遠征中、立ち寄った塔又は要塞又は宿営地で夜間に発生した火災により焼死。

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 Famille de Carné
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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

マルティヌス5世 Martinus V

生没
1369年1月25日~1431年2月20日
出身
ジェナッツァーノ
没地
教皇領ローマ
父
アガピート・コロンナ
母
カテリーナ・コンティ

概要

 オッドーネ・コロンナは、14世紀から15世紀のイタリアの男性、聖職者。第206代教皇マルティヌス5世。

在位

 枢機卿 1405年6月12日~1417年
 サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ助祭枢機卿 1406年6月12日~1417年11月11日
 第206代教皇 1417年~1431年

年表

1369年1月25日

ジェナッツァーノにて、生(1368年)。

1418年4月22日

コンスタンツ公会議が終了。

1418年5月

コンスタンツを出発。

1418年

ヴィラール・ドーラ、トリノ、パヴィア、ミラノを通り、ブレッシャではパンドルフォ3世・マラテスタに迎えられる。

チェラーノ伯ニコラ・ベラルディ、死。

1418年~1419年2月

マントヴァに、ジャンフランチェスコ1世・ゴンザーガとジョヴァンニ・デリ・ウベルティ司教の客として滞在。

1419年2月

フェッラーラ、ラヴェンナ、フォルリを通る。

1419年5月10日

フィレンツェを大司教区に昇格。ほぼ1年半滞在。

1419年

ピエトロ・モロジーニ枢機卿をナポリ王国への教皇特使に任命。

1419年

フィレンツェ共和国に黄金の薔薇を授与。

1419年以降

シャルル7世に、1419年に制作された祝福された剣を授与。

1420年3月17日

グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロに黄金の薔薇を授与。

1420年

ローマはナポリ王国の軍隊が駐屯しており、その指揮官にジョヴァンナ2世・ダンジオと協議することを要求される。

1420年9月30日

ローマ帰還。

1422年以降

ルイ3世・ダンジューに、1422年に制作された祝福された剣を授与。

1423年7月23日

ドメニコ・カプラーニカを枢機卿に選出。

1426年5月24日

プロスペロ・コロンナを枢機卿に選出。

1426年秋

この頃?、ヴェネツィア・フィレンツェ同盟陣営の強化とフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティの苦境を見て使節Niccolò Albergati枢機卿をヴェネツィアに送り、和平を勧奨させると共にそのための両陣営の仲介を行わせる。

1428年8月2日

未明ボローニャで、教会の支配に対する貴族及びその配下の市民の武装反乱、発生。

1428年9月半ば

派遣した教皇軍、ボローニャ領に入る。

1428年12月

教皇軍、ボローニャ市内突入を図るが反乱軍に撃退される。

1429年8月30日

ボローニャの反乱、教会から若干の譲歩を得て収束。しかし政情不安なお続く。

1431年2月20日

没。

埋葬地

本名

 オッドーネ・コロンナ、オットーネ・コロンナ、Oddone Colonna

別表記

 マルチヌス5世

外部リンク

 ウィキペディア
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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church

参考文献

 『イタリア史』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『ルネサンスの歴史』
 『メディチ家』
 『マキアヴェリ』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『La Rosa d'oro Pontificia』

パオラ・コロンナ Paola Colonna

生没
1378年~1450年11月3日
出身
教皇領ローマ
没地
ピオンビーノ又はローマ
父
アガピート・コロンナ
夫
ゲラルド・ダッピアーノ
子
ヤコポ2世・ダッピアーノ
カテリーナ・ダッピアーノ
ヴィオランテ・ダッピアーノ
ポリッセーナ・ダッピアーノ

概要

 パオラ・コロンナは、14世紀から15世紀のイタリアの女性。

在位

 ピオンビーノ領主 1441年~1445年

年表

1378年

生(1379年)。

1396年6月18日

ローマでゲラルド・ダッピアーノと結婚。

1450年11月3日

死(1445年11月30日)。

外部リンク

 Genealogy.EU
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ステファノ・コロンナ Stefano Colonna

生没
1???年~1433年4月17日
没地
ジェナッツァーノ
父
ニッコロ・コロンナ
母
クラリーナ・コンティ
妻
スヴェヴァ・オルシーニ
子
フランチェスカ・コロンナ
インペリアーレ・コロンナ
ステファノ・コロンナ

概要

 ステファノ・コロンナは、15世紀頃のイタリアの男性。

在位

 パレストリーナ領主

年表

1433年4月17日

甥サルヴァトーレ・コロンナに殺害される。

外部リンク

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ゴディーナ・コロンナ Godina Colonna

生没
14??年~1502年
父
ジャナンドレア・コロンナ
母
アンブロジーナ・アスタッリ
夫
ガブリエーレ・チェザリーニ
子
ジャナンドレア・チェザリーニ
ジュリアーノ・チェザリーニ
ジャン・ジョルジョ・チェザリーニ
ルチア・チェザリーニ

概要

 ゴディーナ・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの女性。

年表

1466年5月20日

ジュリアーノ・チェザリーニを出産。

別表記

 Giulia、Giuliana、Gulina、Gudina

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『Casa Cesarini. Ricerche e documenti』
 『Lucretia Borgia』

オドアルド・コロンナ Odoardo Colonna

生没
1405年頃~1503年
父
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
母
スヴェヴァ・カエターニ
妻
ヤコヴェッラ・ダ・チェラーノ
フィリッパ・コンティ
子
ジョヴァンニ・コロンナ
ルチオ・コロンナ
オッドーネ・コロンナ
ジョルダーノ・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
マルチェッロ・コロンナ
ファブリツィオ1世・コロンナ
ロレンツォ・オッドーネ・コロンナ
ルドヴィーコ・コロンナ

概要

 オドアルド・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性。

在位

 アルバ、チェラーノ伯 1419年10月3日~1459年
 初代マルシ公 1459年~1485年
 チヴィテッラ・サン・パオロ、フィアーノ、モンテ・ラ・グアルディア、モルルーポ領主 1423年~1485年
 カーヴェ、ロッカ・ディ・カーヴェ、ジェナッツァーノ他共同領主 1423年~1485年
 パリアーノ領主 1423年~1485年
 マリーノ、ロッカ・ディ・パーパ、コッレパルド、トリヴィリアーノ、リーピ、カストロ、サント・ステーファノ、アンティコーリ・コッラード、ピレーオ、アルデーア、ロヴィアーノ、ヴァッリンフレーダ、ジュリアーノ領主
 ネーミ、ジェンツァーノ領主 1428年~1479年
 ローマの貴族
 ナポリのパトリツィオ
 ヴェネツィアのパトリツィオ 1459年~

年表

142?年

ヤコヴェッラ・ダ・チェラーノと婚約(1419年10月3日以前)。

1425年

モルルーポ、レプリニャーノ、フィアーノ、チヴィテッラ・サン・パオロの兄弟による所領獲得に加わる。

1426年

モルルーポ、フィアーノの兄弟による所領獲得に加わる。

1426年10月30日

マルティヌス5世により派遣されたオルランド・デ・オルランディス・ディ・ジェナッツァーノが、アルベとチェラーノ伯爵領の代官を務めていることが記録されている。

1428年

ネーミとジェンツァーノを購入。

1431年2月20日

教皇マルティヌス5世、死。

1431年4月23日

マリーノからローマへ、軍を率いてローマを襲うが市内に同調の動き出ず、退散。

1431年

エウゲニウス4世に出頭を命じられるが、3兄弟は拒否。

1431年5月半ば

破門される。

1431年9月

敗北し、多額の金銭の支払いを強いられる。

1432年2月21日

エウゲニウス4世により、マルシ公爵領とチェラーノ伯爵領を追認される。

1432年9月12日

エウゲニウス4世により、兄弟と共に科されていた全ての罪を赦される。

1479年

ネーミとジェンツァーノをトゥッタヴィッラ家に売却。

1503年

死(1485年)。

別表記

 エドアルド、Edoardo

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 Treccani
 Wikipedia

アントーニオ・コロンナ Antonio Colonna

生没
1???年~1471年2月21日
父
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
母
スヴェヴァ・カエターニ
妻
ジョヴァンネッラ・ルッフォ
アントネッラ・カンテルモ
インペリアーレ・コロンナ
子
ピエトロ・アントーニオ・コロンナ
ジローラモ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
トンマーゾ・コロンナ

概要

 アントーニオ・コロンナは、15世紀のイタリアの男性。

在位

 サレルノ君侯 1422年~
 パリアーノ領主 1423年~1471年
 コトローネ侯
  先代:ジョヴァンネッラ・ルッフォ
  次代:エンリチェッタ・ルッフォ

年表

1397年12月以降

生(1408年)。

1418年8月18日

ジョヴァンナ2世・ダンジオにより、カラブリア公国代理統治者に任命される。

1435年

ジョヴァンネッラ・ルッフォと結婚。

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 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『Storia della regina Giovanna II d'Angiò』

アンナ・コロンナ Anna Colonna

生没
1410年頃~14??年
父
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
母
スヴェヴァ・カエターニ
夫
ジャナントーニオ・オルシーニ・デル・バルツォ

概要

 アンナ・コロンナは、15世紀頃のイタリアの女性。

年表

外部リンク

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プロスペロ・コロンナ Prospero Colonna

生没
1410年頃~1463年3月24日
没地
教皇領ローマ
父
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
母
スヴェヴァ・カエターニ

概要

 プロスペロ・コロンナは、15世紀のイタリアの男性。

在位

 パリアーノ領主 1423年~1463年3月24日
 枢機卿 1426年5月24日~1463年3月24日
 サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ助祭枢機卿 1430年11月8日~1463年3月24日
 首席助祭枢機卿 1437年9月9日~1463年3月24日
 会計院長 1439年1月1日~1440年1月1日
 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂主席司祭 1458年8月14日以降~1463年3月24日
 サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂主席司祭 1462年1月1日~1463年3月24日

年表

1426年5月24日

マルティヌス5世により、枢機卿に選出される。

1431年3月3日

エウゲニウス4世が教皇に即位。

エウゲニウス4世は即位後直ちに、反ミラノ、反ヴィスコンティの姿勢を示すと共に、自身の即位を推進したオルシーニ一族の意を体し、そのライヴァルで前教皇マルティヌス5世の出自コロンナ一族の掃討に着手。マルティヌス5世の甥であるプロスペロ・コロンナ枢機卿はローマから逃亡。

1431年4月23日

コロンナ一族は、軍を率いてローマを襲うが市内に同調の動き出ず、退散。教皇エウゲニウス4世はナポリ女王ジョヴァンナ2世・ダンジオに援軍の派遣を要請。ジョヴァンナ2世・ダンジオは間もなく援軍を派遣。

1431年9月22日

プロスペロ・コロンナらコロンナ一族は、エウゲニウス4世に譲歩して一応、和を取り結ぶ。

1463年3月24日

ローマにて、死(1463年3月10日、1463年5月24日)。

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Wikipedia

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Le vite di Paolo II di Gaspare da Verona e Michele Canensi』

カテリーナ・コロンナ Caterina Colonna

生没
1???年~1438年10月9日
出身
フォンディ
父
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
母
スヴェヴァ・カエターニ
夫
グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ
子
ピエトロ・ダ・モンテフェルトロ
アニェーゼ・ダ・モンテフェルトロ
オッダントーニオ・ダ・モンテフェルトロ
ヴィオランテ・ダ・モンテフェルトロ
スヴェヴァ・ダ・モンテフェルトロ
ラッファエーレ・マリーア・ダ・モンテフェルトロ

概要

 カテリーナ・コロンナは、15世紀頃のイタリアの女性。

年表

1424年1月23日

グイダントーニオ・ダ・モンテフェルトロと結婚。

外部リンク

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ヴィットーリア・コロンナ Vittoria Colonna

生没
1???年~1465年
父
ロレンツォ・オノフリオ・コロンナ
母
スヴェヴァ・カエターニ
夫
カルロ2世・マラテスタ

概要

 ヴィットーリア・コロンナは、15世紀頃のイタリアの女性。

年表

1465年

死(1463年3月24日以降)。

外部リンク

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ステファノ・コロンナ Stefano Colonna

生没
1433年5月~1490年
出身
カステルヌオーヴォ
父
ステファノ・コロンナ
母
スヴェヴァ・オルシーニ
妻
エウジェーニア・ファルネーゼ
子
フランチェスコ・コロンナ
ジョヴァンニ・コロンナ
ジョルダーノ・コロンナ
ピエトロ・コロンナ

概要

 ステファノ・コロンナは、15世紀のイタリアの男性。

在位

 パレストリーナ領主

年表

1455年

エウジェーニア・ファルネーゼと結婚。

1490年

死(1482年、1485年頃)。

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 Condottieri di ventura
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ジョルダーノ・コロンナ Giordano Colonna

父
オドアルド・コロンナ
母
フィリッパ・コンティ
妻
カテリーナ・デ・バシイス
カテリーナ・イザベッラ・デル・バルツォ
子
アントーニア・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
ロレンツォ・コロンナ

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ファブリツィオ1世・コロンナ Fabrizio I Colonna

生没
1460年頃~1520年3月18日
出身
教皇領ローマ
父
オドアルド・コロンナ
母
フィリッパ・コンティ
妻
アニェーゼ・ダ・モンテフェルトロ
子
ヴィットーリア・コロンナ
フェデリーコ・コロンナ
アスカーニオ1世・コロンナ
フェルディナンド・コロンナ
カミッロ・コロンナ
マルチェッロ・コロンナ
シアッラ・コロンナ
ベアトリーチェ・コロンナ

概要

 ファブリツィオ1世・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。

在位

 パリアーノ領主 1485年~1519年
 初代パリアーノ公 1519年~1520年

戦歴

 ガリリャーノの戦い:スペイン王国、勝利

年表

1450~1460年

ローマにて、生

1489年1月20日

アニェーゼ・ダ・モンテフェルトロと結婚(1488年)。

1501年1月

ナポリ駐在。

1501年3月

プロスペロ・コロンナ、カミッロ・コロンナと共に、オルシーニ家との和解を試みる。

1501年

リヌッチョ・ダ・マルチアーノと共にカプア防衛。

1501年7月24日

チェーザレ・ボルジア含むルイ12世軍の前にカプア陥落(1501年7月25日)。ファブリツィオ・コロンナ捕らえられる。

1501年

フランスの捕虜となり、スペインに引き渡されゴンザロ・デ・コルドバの配下になる。

1512年1月26日

ラモン・デ・カルドナ指揮の神聖同盟軍(フェルナンド2世・デ・アラゴン軍及び教皇代理ジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿と傭兵隊長マルカントーニオ・コロンナ、ファブリツィオ・コロンナらを含むユリウス2世軍)、ボローニャを包囲。

1512年4月11日

ガストン・ド・フォワ指揮のルイ12世軍とアルフォンソ1世・デステ指揮のフェッラーラ軍、ラヴェンナ近郊でイタリア史上稀に見る大激戦の末ラモン・デ・カルドナ指揮の神聖同盟軍を破り、翌1512年4月12日、ラヴェンナに入城。軍、未曾有の略奪、暴行、虐殺を欲しいままにする。

完敗した同盟軍はラモン・デ・カルドナがチェゼーナへ、マルカントーニオ・コロンナはリーミニへ逃げ、ジョヴァンニ・デ・メディチはフランス軍の、ファブリツィオ・コロンナはフェッラーラ軍の捕虜となり、完勝したルイ12世軍もガストン・ド・フォワを戦死させた(1489年~)他、軍に多大の損失を被る。

ラヴェンナ占領におけるルイ12世軍の実態に対する恐怖広まり、イーモラ、ファエンツァ、フォルリ、チェゼーナ、リーミニなど次々にルイ12世軍に降伏し、数日でロマーニャのほぼ全域が支配下に入る。

ナヴァーラの領有を目論むフェルナンド2世・デ・アラゴンは、ガストン・ド・フォワの死により、その姉である自分の妻ジェルメーヌ・ド・フォワにナヴァーラの王位請求権が生じたと主張。

1512年6月下旬

ルイ12世軍の敗退で孤立したアルフォンソ1世・デステ、姉イザベッラ・デステの夫フランチェスコ2世・ゴンザーガや自分が捕らえていたファブリツィオ・コロンナらの仲介でユリウス2世から自身及び領国の安全を保証されローマに向かう。

1512年7月4日

アルフォンソ1世・デステ、ローマ着。ユリウス2世に拝謁を許され、ルイ12世との同盟について許しを乞う。後、ユリウス2世からフェッラーラの放棄、譲渡を求められるがこれを拒絶して怒りを買い、ファブリツィオ・コロンナ、マルカントーニオ・コロンナ兄弟らの協力により変装して、1512年7月19日ローマを逃亡、フェッラーラに向かう。

ユリウス2世は、すでにアルフォンソ1世・デステの領国の一つレッジョを占領。

別表記

 ファブリーツィオ・ディ・オドアルド・コロンナ、ファブリッツィオ、Fabrizio di Odoardo Colonna、Fabricio Colonna

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Famille de Carné
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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia』
 『Mantova e Urbino: Isabella d'Este ed Elisabetta Gonzaga nelle relazioni famigliari』
 『The Life of Cesare Borgia』

ピエトロ・アントーニオ・コロンナ Pietro Antonio Colonna

父
アントーニオ・コロンナ
母
インペリアーレ・コロンナ
妻
ベルナルディーナ・コンティ
子
マルカントーニオ・コロンナ

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ジローラモ・コロンナ Girolamo Colonna

生没
14??年~1482年4月3日
没地
教皇領ローマ
父
アントーニオ・コロンナ
妻
ヴィットーリア・コンティ
子
マルチェッロ・コロンナ
ポルツィア・コロンナ
ジューリオ・コロンナ
ポンペーオ・コロンナ
オッタヴィアーノ・コロンナ
ピエルフランチェスコ・コロンナ

概要

 ジローラモ・コロンナは、15世紀のイタリアの男性、庶子。

年表

1482年4月3日

夜、ジローラモ・リアリオから提供された武装兵2百を率いたジョルジョ・サンタクローチェにヴァッレ宮殿が襲撃され、ジローラモ・コロンナが殺される。

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョヴァンニ・コロンナ Giovannni Colonna

生没
1456年~1508年9月26日
出身
教皇領ローマ
没地
教皇領ローマ
父
アントーニオ・コロンナ
母
インペリアーレ・コロンナ

概要

 ジョヴァンニ・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 枢機卿 1480年5月15日~1508年9月26日
 サンタ・マリア・イン・アクイロ助祭枢機卿 1480年6月3日~1508年9月26日
 リエーティ教区長 1480年11月10日~1508年9月28日
 ノートル=ダム・ド・ボンヌコーム遥任修道院長 1485年1月1日~1493年1月1日
 スビアーコ遥任修道院長 1492年8月16日~1501年8月20日
 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂主席司祭 1503年11月1日~1508年9月26日
 首席助祭枢機卿 1503年11月29日~1508年9月26日
 スビアーコ遥任修道院長 1504年1月1日~1508年9月26日

年表

1480年5月15日

シクストゥス4世により、枢機卿に選出される。

1482年4月3日

異母兄弟ジローラモ・コロンナが、ジローラモ・リアリオの支援を受けたジョルジョ・サンタクローチェに殺害される。

1482年6月2日

枢機卿会議にて、フェッラーラ戦争時にコロンナ家の大半の者がナポリ王フェッランテ・ダラゴーナに与し、教皇シクストゥス4世に敵対的態度を取り続けているとして、ジョヴァンニ・バッティスタ・サヴェッリと共に告発される。

親族の行動に責任はないと弁明するが、ヴァティカン内で逮捕され、サンタンジェロ城に投獄される。

1483年11月15日

釈放される。

この日の枢機卿会議に出席。

1493年6月12日

ルクレツィア・ボルジアとジョヴァンニ・スフォルツァのヴァティカン宮殿での結婚式に参列。

1497年9月6日(水)

朝、サンタ・マリア・ノヴァ聖堂でナポリ王戴冠式から帰還したチェーザレ・ボルジアを迎える。

関連項目

 The Borgias: 101, 103, 108

別表記

 サヴェッリ枢機卿

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『君主論』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia』
 『The Life of Cesare Borgia』

プロスペロ・コロンナ Prospero Colonna

生没
1460年頃?~1523年12月30日
没地
ミラノ公国ミラノ
父
アントーニオ・コロンナ
母
インペリアーレ・コロンナ
妻
コヴェッラ・サンセヴェリーノ
イザベッラ・カラーファ
子
ヴェスパシアーノ・コロンナ
エルシーリア・コロンナ
ラウラ・コロンナ

概要

 プロスペロ・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。

在位

 初代トラエット公
  次代:ヴェスパシアーノ・コロンナ

戦歴

 カンポモルトの戦い:ナポリ軍、敗北
 ガリリャーノの戦い:スペイン王国、勝利
 マリニャーノの戦い:ミラノ公国軍、敗北

年表

1501年1月・1501年2月

ナポリ。ゴンザロ・デ・コルドバにより、ローマへ送られる。

1501年3月

ファブリツィオ1世・コロンナ、カミッロ・コロンナと共に、オルシーニ家との和解を試みる。

1501年6月

マリーノとロッカ・ディ・パーパを任せ、ナポリ防衛のために出発。

ロベール・スチュアート・ドオービニイと戦うが、ゴンザロ・デ・コルドバの指示により、あまり強く抵抗せず。

2千人と共に降伏。イスキアへ逃亡したフェデリーコ・ダラゴーナを追うが、フランスの捕虜となり、スペインに引き渡されゴンザロ・デ・コルドバの配下になる。

1503年8月22日

ローマにて、チェーザレ・ボルジアと協定を結ぶ。

1503年9月1日

チェーザレ・ボルジア、フランス王ルイ12世と新たに協定を結ぶ。

1503年9月2日

サンタンジェロ城に幽閉されていたサンチャ・ダラゴーナに伴い、ナポリへ向けローマ出発。

1515年

傭兵隊長プロスペロ・コロンナ指揮のミラノ軍が、スイス連邦軍と共にジェノヴァ攻撃に向かうが、オッタヴィアーノ・フレゴーソの訴えを受け入れたレオ10世に制止される。

1515年8月12日

フランソワ1世軍にヴィッラフランカで敗北し、捕虜となる。

1521年8月1日

第二次イタリア戦争:レオ10世は、マントヴァ侯フェデリーコ2世・ゴンザーガ指揮の自軍とペスカーラ侯フェルナンド・フランチェスコ・ダヴァーロス(1490年~)指揮のカール5世をボローニャに集めて同盟軍を結成し、その総指揮官にプロスペロ・コロンナを、前線総監にフランチェスコ・グイッチャルディーニを当て、間もなくジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ指揮の軍も加え、フランソワ1世のミラノ総督ロートレック子爵オデ・ド・フォワに宣戦布告。フランソワ1世とカール5世のヨーロッパ覇権を巡る対立、イタリアでも公然たる戦争に発展し、第二次イタリア戦争始まる(~1559年)。

1521年8月29日~9月2日

プロスペロ・コロンナ総指揮の同盟軍(教会軍、フィレンツェ軍、カール5世軍)は、パルマを攻撃し一時、支配するが、新たにフェッラーラ軍の支援を受けたミラノ総督ロートレック子爵オデ・ド・フォワ指揮のフランソワ1世軍を前にして後退。

1521年11月19日

プロスペロ・コロンナやペスカーラ侯フェルナンド・フランチェスコ・ダヴァーロスらに指揮され、教皇特使ジューリオ・デ・メディチを加えた同盟軍の進撃を前に、ミラノ総督ロートレック子爵オデ・ド・フォワ指揮のフランソワ1世軍及びTeodoro Trivulzio(1474年~1551年)ら指揮のヴェネツィア軍は、城塞に守備隊を残してミラノを撤退。同盟軍は、ミラノ公フランチェスコ・マリーア・スフォルツァの名でミラノを制圧。

以後、同盟軍は、ナヴァーラ、アスティ、アレッサンドリア、パヴィア、ローディ、クレモーナ、パルマ、ピアチェンツァを相次いで占領し、パルマ、ピアチェンツァを教会領に併合。

1522年3月初旬

本国から援軍を得たロートレック子爵オデ・ド・フォワ指揮のフランソワ1世軍は、ヴェネツィア軍をも加えて、ミラノを奪還すべくロンバルディアに出撃。プロスペロ・コロンナ総指揮の同盟軍(主力はカール5世軍)と各地で激戦を展開。

1522年5月25/26日

同盟軍は、クレモーナを攻撃。守備していたフランソワ1世軍はやむなく同盟軍指揮官プロスペロ・コロンナと協定を結び、クレモーナ、ミラノ、ノヴァーラの3市の城塞を保持する他はロンバルディアから全面的に撤退することを約束。プロスペロ・コロンナはフランソワ1世軍の帰国の安全を保証。

1522年5月30日

同盟軍は、1513年ジェノヴァから追放されたジローラモ・アドルノ(1483/1489年~1500年代前半)、アントニオット・アドルノ兄弟を同道してジェノヴァを攻略。ジェノヴァはフランスの支配を脱し、新たにアントニオット・アドルノをドージェに選出(在位~1527年)。

1523年9月上旬~中旬

Guillaume de Bonnivet指揮のフランソワ1世軍は、アルプスを経てアスティ、アレッサンドリア、ノヴァーラを占領した後、1523年9月半ば、ロンバルディアに進軍してミラノに迫る。病身のプロスペロ・コロンナが指揮する同盟軍が、急ぎミラノ防衛態勢をとる。

1523年12月30日

プロスペロ・コロンナ死。彼に代わる同盟軍の指揮官にカール5世によって任命されたそのナポリ総督Charles de Lannoyは、すでに12月半ばロンバルディアに到着。

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『イタリア史』
 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
 『フィレンツェ史』
 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルクレツィア・ボルジア―ルネッサンスの黄昏』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『The Life of Cesare Borgia』

フランチェスコ・コロンナ Francesco Colonna

生没
1453年~1538年
父
ステファノ・コロンナ
母
エウジェーニア・ファルネーゼ
妻
オルシーナ・オルシーニ
子
ステファノ・コロンナ
ルクレツィア・コロンナ
アレッサンドロ・コロンナ

概要

 フランチェスコ・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、ローマ貴族。

在位

 パレストリーナ、カステルヌオーヴォ、カルボニャーノ、アンティコリ、コルコッロ、アルギド、パッセラーノ領主

年表

1502年1月6日(木)

ルクレツィア・ボルジアの護衛として、ローマ出発。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Google Books - Los jardines del sueño
 Google Books - Papal Genealogy
 Google Books - The Real Rule of Four
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

参考文献

 『Lucretia Borgia』

ジョヴァンニ・コロンナ Giovanni Colonna

生没
14??年~1482年以降
父
ステファノ・コロンナ
母
エウジェーニア・ファルネーゼ
妻
ジュスティーナ・オルシーニ
子
ラヴィーニア・コロンナ

概要

 ジョヴァンニ・コロンナは、15世紀のイタリアの男性。

年表

1462年

ジュスティーナ・オルシーニと結婚。

別表記

 Stefano Giovanni

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ピエトロ・コロンナ Pietro Colonna

生没
14??年~1501年9月17日以降
父
ステファノ・コロンナ
母
エウジェーニア・ファルネーゼ
妻
カテリーナ・サヴェッリ
子
ジョヴァンニ・コロンナ
ジューリア・コロンナ

概要

 ピエトロ・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、ローマの貴族。

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ロレンツォ・コロンナ Lorenzo Colonna

生没
1???年~1484年6月29日
没地
教皇領ローマ
父
ジョルダーノ・コロンナ
子
ムツィオ・コロンナ

概要

 ロレンツォ・コロンナは、15世紀頃のイタリアの男性。

年表

1484年5月30日

兵2百を率いたジローラモ・リアリオとヴィルジーニオ・オルシーニにヴェネツィア広場そばにあるコロンナ邸が襲撃され、ロレンツォ・コロンナが捕らえられる。

1484年6月29日

斬首刑に処される(1484年6月30日)。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Google Books
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 THE THIRD MILLENNIUM LIBRARY

参考文献

 『ボルジア家――悪徳と策謀の一族』

ヴィットーリア・コロンナ Vittoria Colonna

生没
1490年4月~1547年2月25日
出身
マリーノ
父
ファブリツィオ1世・コロンナ
母
アニェーゼ・ダ・モンテフェルトロ
夫
フェルナンド・フランチェスコ・ダヴァーロス

概要

 ヴィットーリア・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの女性、詩人、ペスカーラ侯夫人、ミケランジェロのプラトニックな恋人。

年表

1490/1492年

マリーノにて、生。

1509年

フェルナンド・フランチェスコ・ダヴァーロスと結婚。

1534年

この年頃ナポリに移住したフアン・デ・ヴァルデスを中心として教会改革と霊的再生を求める人々の小サークルが結成される。彼の死(1541年)までにジューリア・ゴンザーガ、ヴィットーリア・コロンナ、カテリーナ・チーボ、Constanza d'Avalosら君侯夫人・寡婦、マルカントーニオ・フラミーニオら人文主義者、G. Seripando、ベルナルディーノ・オキーノ、P. M. Vermigli、ピエトロ・カルネセッキら聖職者が集い、イタリアにおける教会改革運動の拠点の観を呈する。後、第三者は新教を信仰し宗教改革運動に従事。

1536年

この年頃、ミケランジェロ、ヴィットーリア・コロンナと出会い、友情・愛情に結ばれる。

1538年10月

ミケランジェロとヴィットーリア・コロンナの友情・愛情、ヴィットーリア・コロンナのローマ滞在を機に深まり、以後、両者のプラトニックな交友、ヴィットーリア・コロンナの死まで続く。

1541年2月25日

パウルス3世、対オスマン帝国軍事費のためとして加重した塩税の納入を拒否していた(1537年~)コロンナ家の統領Ascanio Colonna(1490年代~1557年)に、3日以内に出頭しその未納について弁明するよう命令。

しかしAscanio Colonna、これを拒否しコジモ1世・デ・メディチに支援を求める。これに対しパウルス3世、直ちにピエル・ルイジ・ファルネーゼ指揮の軍をローマに結集。

以後、ペドロ・デ・トレドがカール5世の特使としてローマに入って両者の仲介を、ヴィットーリア・コロンナもローマに帰り両者の交渉の進展を、それぞれ試みるが実らず。

1541年

ミケランジェロとヴィットーリア・コロンナのプラトニックな愛情、深く続く。

1547年1月18日

ヴィットーリア・コロンナ、ローマで死(1490/1492年~)。ミケランジェロ、打ちのめされる。

別表記

 ヴィットリア

関連項目

 The Borgias: 201

外部リンク

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 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 THE BORGIAS wiki
 Treccani.it
 Wikipedia

参考文献

 『イコノロジー研究』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの女たち』
 『ルネサンスの華』
 『Lucretia Borgia』
 『Mantova e Urbino: Isabella d'Este ed Elisabetta Gonzaga nelle relazioni famigliari』

アスカーニオ1世・コロンナ Ascanio I Colonna

生没
1500年~1557年3月24日
出身
ナポリ王国ナポリ
没地
ナポリ王国ナポリ
父
ファブリツィオ1世・コロンナ
母
アニェーゼ・ダ・モンテフェルトロ
妻
ジョヴァンナ・ダラゴーナ
子
ファブリツィオ・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
ヴィットーリア・コロンナ
マルカントーニオ2世・コロンナ
マルチェッロ・コロンナ
ジローラマ・コロンナ
アニェーゼ・コロンナ

概要

 アスカーニオ1世・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性。

在位

 第2代パリアーノ公 1520年~1557年

年表

1518年11月11日

ジョヴァンナ・ダラゴーナと婚約。

1521年6月5日

ジョヴァンナ・ダラゴーナと結婚。

1525年6月20日

フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレの誤った死亡情報が起因して、クレメンス7世によりウルビーノ公として叙任される。

外部リンク

 Geneanet
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 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『Mantova e Urbino: Isabella d'Este ed Elisabetta Gonzaga nelle relazioni famigliari』

シアッラ・コロンナ Sciarra Colonna

生没
1500年頃~1532年以降
父
ファブリツィオ1世・コロンナ
母
?
妻
マルゲリータ・キージ
子
ジョヴァンニ・コロンナ
チェチーリア・コロンナ
サラ・コロンナ
ジョヴァンナ・コロンナ

概要

 シアッラ・コロンナは、15世紀頃から16世紀のイタリアの男性、庶子、傭兵隊長。

年表

1527年8月

カメリーノ公ジョヴァンニ・マリーア・ダ・ヴァラーノ、死。

1527年9月

リドルフォ・ダ・ヴァラーノを支持し、カメリーノを占領。

リドルフォ・ダ・ヴァラーノを裏切って、カテリーナ・チーボと結婚することで合法的にカメリーノ公国を掌握しようとしたが、交渉は失敗。カメリーノを去る。

外部リンク

 Wikipedia

マルカントーニオ・コロンナ Marcantonio Colonna

生没
1478年9月3日~1522年3月頃
没地
ミラノ公国ミラノ
父
ピエトロ・アントーニオ・コロンナ
妻
ルクレツィア・フランチオッティ
子
ポルツィア・コロンナ
オルテンシア・コロンナ
アルテミシア・コロンナ
リヴィア・コロンナ

概要

 マルカントーニオ・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性。

在位

 パリアーノ領主 1485年~1522年

戦歴

 ガリリャーノの戦い:スペイン王国、勝利

年表

1504年

フィレンツェ共和国と傭兵契約を結ぶ。

1505年6月

この頃?、ムツィオ・コロンナと共に、フィレンツェ共和国に傭兵隊長として雇われる。

1505年8月17日

バルトロメオ・ダルヴィアーノ指揮のフィレンツェ攻撃軍は、アントーニオ・テバルドゥッチを前線総監としエルコーレ・ベンティヴォーリオ(1459年~?)、マルカントーニオ・コロンナ、ヤコポ・サヴェッリら傭兵隊長を指揮官とするフィレンツェ軍にサン・ヴィンチェンツォで撃破される。バルトロメオ・ダルヴィアーノはシエナに敗走。

1506年8月

ユリウス2世から、マルカントーニオ・コロンナ指揮のフィレンツェ傭兵軍が教会国家再建のためのペルージア、ボローニャ征討を支援するよう求められる。これに対して時間を稼ぎ引き延ばしをするためニッコロ・マキアヴェッリをユリウス2世のもとに派遣。

1507年1月2日

ローマでルクレツィア・フランチオッティと結婚。

1510年7月

ユリウス2世、すでにフィレンツェの傭兵隊長の任を離れたマルカントーニオ・コロンナの指揮する陸軍をフィレンツェ領経由で送り、ヴェネツィアの水軍と協同でジェノヴァを攻撃。しかし、期待した市内での市民の反乱生じず、ルイ12世軍により撃退される。

ユリウス2世、フランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレの指揮する自己の大軍にフェッラーラ攻撃の、スイス連邦軍にミラノ攻撃の態勢をそれぞれ整えさせる。

1510年12月23日

1508年にピエロ・イル・ファトゥオの娘クラリーチェ・デ・メディチを妻としたフィリッポ・ストロッツィ、熱烈なメディチ派で教皇庁に使えている青年Prinzivalle della Stufa(1484年~1561年)からユリウス2世の傭兵隊長マルカントーニオ・コロンナの兵10名を得てピエロ・ソデリーニ殺害の機を窺っていると打ち明けられ、同族に相談の上これをピエロ・ソデリーニに通報。Prinzivalle della Stufaはシエナに逃亡。

1511年8月21日

ユリウス2世により、フラスカーティを封土される。

1512年1月26日

ラモン・デ・カルドナ指揮の神聖同盟軍(フェルナンド2世・デ・アラゴン軍及び教皇代理ジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿と傭兵隊長マルカントーニオ・コロンナ(1450~1460年~1520年)、ファブリツィオ1世・コロンナらを含むユリウス2世軍)、ボローニャを包囲。

1512年4月11日

ガストン・ド・フォワ指揮のルイ12世軍とアルフォンソ1世・デステ指揮のフェッラーラ軍、ラヴェンナ近郊でイタリア史上稀に見る大激戦の末ラモン・デ・カルドナ指揮の神聖同盟軍を破り、翌1512年4月12日、ラヴェンナに入城。軍、未曾有の略奪、暴行、虐殺を欲しいままにする。

完敗した同盟軍はラモン・デ・カルドナがチェゼーナへ、マルカントーニオ・コロンナはリーミニへ逃げ、ジョヴァンニ・デ・メディチはフランス軍の、ファブリツィオ1世・コロンナはフェッラーラ軍の捕虜となり、完勝したルイ12世軍もガストン・ド・フォワを戦死させた(1489年~)他、軍に多大の損失を被る。

ラヴェンナ占領におけるルイ12世軍の実態に対する恐怖広まり、イーモラ、ファエンツァ、フォルリ、チェゼーナ、リーミニなど次々にルイ12世軍に降伏し、数日でロマーニャのほぼ全域が支配下に入る。

ナヴァーラの領有を目論むフェルナンド2世・デ・アラゴンは、ガストン・ド・フォワの死により、その姉である自分の妻ジェルメーヌ・ド・フォワにナヴァーラの王位請求権が生じたと主張。

1512年7月4日

アルフォンソ1世・デステ、ローマ着。ユリウス2世に拝謁を許され、ルイ12世との同盟について許しを乞う。後、ユリウス2世からフェッラーラの放棄、譲渡を求められるがこれを拒絶して怒りを買い、ファブリツィオ1世・コロンナ、マルカントーニオ・コロンナ兄弟らの協力により変装して、1512年7月19日ローマを逃亡、フェッラーラに向かう。

ユリウス2世は、すでにアルフォンソ1世・デステの領国の一つレッジョを占領。

1516年3月初旬

マクシミリアン1世、マルカントーニオ・コロンナ指揮の自軍が守るヴェローナ、ブレッシャなどを支援、確保するため、スイス人傭兵を含む小軍を率いてイタリアに侵攻し、トレントに到着。

1516年3月25日

マクシミリアン1世軍が、ミラノに迫る。マルカントーニオ・コロンナ指揮の軍はローディを制圧。しかしマクシミリアン1世軍はスイス人傭兵が戦闘を拒否したためすぐローディに撤退。さらにトレントに撤退。

1516年春~10月半ば

ヴェローナ、ブレッシャを巡ってフランソワ1世軍及びヴェネツィア軍、とりわけヴェローナ奪回を急ぐヴェネツィア軍と、マルカントーニオ・コロンナ指揮のマクシミリアン1世軍及びカルロス1世軍との間に戦闘続く。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『Lucretia Borgia』

ポンペーオ・コロンナ Pompeo Colonna

生没
1479年5月12日~1532年6月28日
父
ジローラモ・コロンナ
母
ヴィットーリア・コンティ
女
ジューリア・ディ・フォンディ
子
ジョヴァンニ・コロンナ

概要

 ポンペーオ・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、聖職者、枢機卿。

在位

 スビアーコ管理修道院長 1508年~1513年
 リエーティ司教 1508年10月6日~1514年3月20日
 枢機卿(任命レオ10世) 1517年7月1日~1532年6月28日
 サンティ・ドーディチ・アポストリ司祭枢機卿 1517年11月13日~1524年1月11日
 テルニ教区長 1520年5月14日~1520年12月5日
 ポテンツァ教区長 1521年1月7日~1526年11月21日
 カターニア教区長 1523年2月27日~1524年1月18日
 サン・ロレンツォ・イン・ダマソ司祭枢機卿 1524年1月11日~1532年6月28日
 サンティ・ドーディチ・アポストリ遥任司祭枢機卿 1524年1月11日~1532年6月28日
 教皇庁副尚書院長 1524年1月11日~1532年6月28日
 アチェルノ教区長 1524年1月18日~1525年6月23日
 ロッサーノ教区長 1525年6月23日~1525年7月3日
 アクイレイア教区長 1525年7月3日~1532年
 アクイラ教区長 1525年7月3日~1532年6月28日
 リエーティ司教 1528年~1529年8月27日
 ニコテラ教区長 1528年10月30日~1530年12月5日
 アヴェルサ教区長 1529年4月20日~1529年9月24日
 サルノ教区長 1530年8月24日~1532年6月28日
 モンレアーレ教区長 1530年12月14日~1532年6月28日
 ジッフォーニ教区長 1531年9月6日~1532年6月28日

戦歴

 ガリリャーノの戦い:スペイン王国、勝利

年表

1526年9月20~21日

コロンナ一族は、ウク・デ・モンカダ指揮の軍と共にローマを急襲しヴァティカン宮殿を略奪。クレメンス7世はサンタンジェロ城に逃亡。かねてからクレメンス7世に敵対していた枢機卿ポンペーオ・コロンナ(1479年~1532:枢機卿在位1517年~1532年)がクレメンス7世を廃して教皇位を襲うための行動と広く信じられる。

1526年9月21日

やむなくウク・デ・モンカダと、4ヶ月間の休戦、ロンバルディアにある教皇軍のポー河以南への撤退、コロンナ家の赦免、カール5世軍、コロンナ家軍のローマ及び教会領からナポリへの撤退などを協定。

この後、クレメンス7世、直ちに密かに軍を集め、コロンナ家領及びナポリへの侵攻態勢を整えると共にコロンナ一族を教会に対する反逆者と宣言し、ポンペーオ・コロンナの枢機卿位を剥奪。

他方でクレメンス7世、ロンバルディアの同盟軍に書簡を送り、4ヶ月の休戦期間終了後はこれまで以上にカール5世と戦うと告げる。

1526年11月21日

1526年9月のコロンナ一族によるヴァティカン宮殿襲撃の参加者の処罰を進めてきた教皇庁は、召喚にも応じないポンペーオ・コロンナの聖職剥奪を宣言。

1527年3月15/16日

軍資金に窮して自軍の兵士の憤懣、脱走を止められない中でシャルル・ド・ブルボン指揮のカール5世軍の南下を見たクレメンス7世、やむなくCharles de Lannoyと8ヶ月間の休戦協定を結び、自軍のナポリ領及びコロンナ家領からの撤退、コロンナ家の赦免、ポンペーオ・コロンナの枢機卿への復位、カール5世軍への資金の提供、カール5世軍の教会領及びフィレンツェ領からの撤退、ヴェネツィア及びフランスによる本協定承認後のカール5世軍のイタリアからの撤退を約定。

これによりクレメンス7世は形式上コニャック同盟から離脱。

別表記

 ポンペオ、ポンペイオ

外部リンク

 GCatholic.com
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 The Cardinals of the Holy Roman Church
 Treccani
 Wikipedia

参考文献

 『君主論』
 『イタリア・ルネサンスの文化』
 『ルネサンスの女たち』
 『イタリア史Ⅴ』
 『メディチ家』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

ヴェスパシアーノ・コロンナ Vespasiano Colonna

生没
1480年頃~1528年3月13日
没地
パリアーノ
父
プロスペロ・コロンナ
母
コヴェッラ・サンセヴェリーノ
妻
ベアトリーチェ・ダッピアーノ
ジューリア・ゴンザーガ
子
イザベッラ・コロンナ

概要

 ヴェスパシアーノ・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの男性、傭兵隊長。

在位

 パリアーノ領主 1522年~1528年
 トラエット公
  先代:プロスペロ・コロンナ

年表

1498年

ベアトリーチェ・ダッピアーノと結婚。

1526年7月26日

フォンディにてジューリア・ゴンザーガと結婚。

1526年8月20日

クレメンス7世と、ローマにおけるその最後の強敵でカール5世と結んだコロンナ一族との抗争について、クレメンス7世とヴェスパシアーノ・コロンナ及びカール5世のナポリ総督代理ウク・デ・モンカダ(1476年頃~1528年)との間で、クレメンス7世はコロンナ家領を侵攻しないこと、コロンナ家はその軍をローマ近郊からナポリに撤退させることなどについて協定。

外部リンク

 Geneanet
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家の人びと』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンスの華』

エルシーリア・コロンナ Ersilia Colonna

生没
1490年~1509年
出身
教皇領ローマ
没地
教皇領ローマ
父
プロスペロ・コロンナ
夫
ガレアッツォ・ファルネーゼ
子
フェッランテ・ファルネーゼ

概要

 エルシーリア・コロンナは、15世紀から16世紀のイタリアの女性、庶子。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ラヴィーニア・コロンナ Lavinia Colonna

父
ジョヴァンニ・コロンナ
母
ジュスティーナ・オルシーニ
夫
アストッレ・バリオーニ

別表記

 ラヴィーニャ

外部リンク

 Geni.com
 Sketches and Studies in Italy and Greece, Third series - Project Gutenberg

参考文献

 『イタリア・ルネサンスの文化』

ジューリア・コロンナ Giulia Colonna

生没
1???年~1571年
父
ピエトロ・コロンナ
母
カテリーナ・サヴェッリ
夫
ピエトロ・マルガーニ
プロスペロ・コロンナ

概要

 ジューリア・コロンナは、16世紀頃のイタリアの女性、ローマの貴族。

外部リンク

 Google Books
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ムツィオ・コロンナ Muzio Colonna

生没
1???年~1528年10月
父
ロレンツォ・コロンナ
妻
ラウラ・フランジパーネ
ジネヴラ・ダ・ヴァラーノ
子
カミッロ・コロンナ
アルフォンソ・コロンナ

概要

 ムツィオ・コロンナはイタリアの傭兵隊長。

年表

1503年1月

ナポリ王国からローマに帰還。

シルヴィオ・サヴェッリのパロンバーラ・サビーナ征服に参加し、オルシーニ家を支援してボルジア家に対抗。

1505年6月

この頃?、マルカントーニオ・コロンナと共に、フィレンツェ共和国に傭兵隊長として雇われる。

1528年10月

死(1516年10月)。

別表記

 Mutius Colonna

外部リンク

 Condottieri di ventura
 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Treccani.it

参考文献

 『フィレンツェ史』
 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』

ヴィットーリア・コロンナ Vittoria Colonna

生没
15??年~
父
アスカーニオ1世・コロンナ
母
ジョヴァンナ・ダラゴーナ
夫
ガルシア・デ・トレド
子
ペドロ・デ・トレド
マリーア・デ・トレド
ジョヴァンナ・デ・トレド
エレオノーラ・ディ・トレド
アンナ・デ・トレド
イニェス・デ・トレド

概要

 ヴィットーリア・コロンナは、16世紀頃のイタリアの女性。

年表

1536年4月5日

ガルシア・デ・トレドと結婚(1552年4月)。

1546年9月6日

ペドロ・デ・トレドを出産。

1553年3月

エレオノーラ・ディ・トレドを出産。

外部リンク

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マルカントーニオ2世・コロンナ Marcantonio II Colonna

生没
1535年2月25日~1585年8月1日
出身
チヴィタ・ラヴィニア
没地
メディナセリ
父
アスカーニオ1世・コロンナ
母
ジョヴァンナ・ダラゴーナ
妻
フェリーチェ・オルシーニ
子
コスタンツァ・コロンナ
ファブリツィオ・コロンナ
プロスペロ・コロンナ
フェデリーコ・コロンナ
ジョヴァンナ・コロンナ
アスカーニオ・コロンナ
ヴィットーリア・コロンナ

概要

 マルカントーニオ2世・コロンナは、16世紀のイタリアの男性。

在位

 第3代パリアーノ公 1557年~1585年

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

アニェーゼ・コロンナ Agnese Colonna

生没
1538年~1578年4月26日
没地
教皇領ローマ
父
アスカーニオ1世・コロンナ
母
ジョヴァンナ・ダラゴーナ
夫
オノラート4世・カエターニ
子
ピエトロ3世・カエターニ
フィリッポ1世・カエターニ
アントーニオ・カエターニ
ボニファチオ2世・カエターニ
グレゴーリオ・カエターニ
グリエルモ・カエターニ
ルッジェーロ・カエターニ
ベネデット・カエターニ

概要

 アニェーゼ・コロンナは、16世紀のイタリアの女性、ローマ貴族、ヴェネト貴族。

年表

1558年7月26日

オノラート4世・カエターニとの結婚証明書に署名。

1560年

オノラート4世・カエターニと結婚。

1562年頃

ピエトロ3世・カエターニを出産。

1565年

フィリッポ1世・カエターニを出産。

1566年

アントーニオ・カエターニを出産。

1568年

セルモネータにて、ボニファチオ2世・カエターニを出産。

1569年頃

グレゴーリオ・カエターニを出産。

1570年

ルッジェーロ・カエターニを出産。

1572年

ベネデット・カエターニを出産(1575年)。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

イザベッラ・コロンナ Isabella Colonna

生没
1513年~1570年4月11日
没地
フォンディ
父
ヴェスパシアーノ・コロンナ
母
ベアトリーチェ・ダッピアーノ
夫
ルドヴィーコ・ゴンザーガ
フィリッポ・デ・ランノイ
子
ヴェスパシアーノ・ゴンザーガ
オラツィオ・デ・ランノイ
マリーア・デ・ランノイ
カルロ・デ・ランノイ
プロスペロ・デ・ランノイ
ポンペーオ・デ・ランノイ

概要

 イザベッラ・コロンナは、16世紀のイタリアの女性。

外部リンク

 Genealogy.EU
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

参考文献

 『メディチ家の人びと』

コスタンツァ・コロンナ Costanza Colonna

生没
1555年頃~1626年
父
マルカントーニオ2世・コロンナ
母
フェリーチェ・オルシーニ
夫
フランチェスコ1世・スフォルツァ
子
ファウスティーナ・スフォルツァ
ムツィオ2世・スフォルツァ
ルドヴィーコ・スフォルツァ
ファブリツィオ・スフォルツァ
ヴィオランテ・スフォルツァ
ジョヴァンナ・スフォルツァ

概要

 コスタンツァ・コロンナは、16世紀から17世紀のイタリアの女性。

年表

1596年

ローマに帰り、カラヴァッジョの庇護者となる。

外部リンク

 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea
 Wikipedia

ファブリツィオ・コロンナ Fabrizio Colonna

生没
1557年~1580年11月1日
父
マルカントーニオ2世・コロンナ
母
フェリーチェ・オルシーニ
妻
アンナ・ボッロメオ
子
マルカントーニオ3世・コロンナ
フィリッポ1世・コロンナ
ジョヴァンナ・コロンナ

概要

 ファブリツィオ・コロンナは、16世紀のイタリアの男性。

在位

 パリアーノの君主

年表

1562年5月4日

アンナ・ボッロメオと結婚(1562年5月12日)。

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

ジョヴァンナ・コロンナ Giovanna Colonna

生没
1579年頃~1620年
没地
ジェノヴァ
父
ファブリツィオ・コロンナ
母
アンナ・ボッロメオ
夫
アンドレア2世・ドーリア
子
アルテミシア・マリーア・ドーリア
アンナ・ドーリア
ジョヴァンニ・アンドレア・ドーリア
ゼノービア・ドーリア
ジョヴァンニ・アンドレア2世・ドーリア
フェリーチア・ドーリア
ファブリツィオ・ドーリア
アンドレア・ドーリア
コスタンツァ・ドーリア
ヴィットーリア・ドーリア
ジローラマ・ドーリア

概要

 ジョヴァンナ・コロンナは、16世紀から17世紀のイタリアの女性。

年表

1592年春

アンドレア2世・ドーリアと結婚。

1604年6月25日

ジェノヴァにて、アルテミシア・マリーア・ドーリアを出産。

1605年

ジェノヴァにて、アンナ・ドーリアを出産。

1606年

ジェノヴァにて、ジョヴァンニ・アンドレア・ドーリアを出産。

1606年

ジェノヴァにて、ゼノービア・ドーリアを出産。

1607年11月28日

ジェノヴァにて、ジョヴァンニ・アンドレア2世・ドーリアを出産。

1608年

ジェノヴァにて、フェリーチア・ドーリアを出産。

1609年

ジェノヴァにて、ファブリツィオ・ドーリアを出産。

1610年

ジェノヴァにて、アンドレア・ドーリアを出産。

1611年

ジェノヴァにて、コスタンツァ・ドーリアを出産。

1612年

ジェノヴァにて、ヴィットーリア・ドーリアを出産。

1612年7月11日

夫アンドレア2世・ドーリア、死。

1613年

ジェノヴァにて、ジローラマ・ドーリアを出産。

外部リンク

 Geneanet
 Libro d'Oro della Nobiltà Mediterranea

フランチェスコ・コロンナ Francesco Colonna

生没
1433年~1525年
出身
トレヴィーゾ
没地
ヴェネツィア

概要

 フランチェスコ・コロンナは、15世紀から16世紀の男性、著作家、ドミニコ会修道士。

著作

 『ポリフィーロの夢』

年表

1433年

トレヴィーゾに誕生。(1434年)

1499年

ポリフィーロの夢をヴェネツィアで刊行。

1525年

ヴェネツィアで死(1527年)。

別表記

 フランチェスコ・デ・コロンナ

外部リンク

 Wikipedia

参考文献

 『読む年表・年譜 ルネサンス・フィレンツェ、イタリア、ヨーロッパ』
 『ルネサンス宮廷大全』
 『ルネッサンスの光と闇』

記載日

更新日

 2026年9月2日